飛行老人の飛行機話

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カテゴリ: ヘリコプター、軍用機

関西在住時はあまり八尾へは足が向かなかったが航空祭には何回か出かけた。
当時の八尾は民間機エリアは西の外れで陸自は東の外れで車が無ければ両方へ行くのは難しかった。
1985年は陸自ではUH-1の過渡期でBとHが混在、また塗装も派手な陸自塗装から迷彩が増えつつあった。
手前がUH-1B、奥がUH-1H。Bはスキッドが短く前かがみ、Hはスキッドが高くなりそっくり返った感じだ。

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UH-1H。

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現在のUH-1Jと同じ塗装のH。

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明野からデモフライトに飛来したAH-1S、文字が黒になってハッキリしないがSDの1号機。

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もう退役が始まったAH-1Sだが1981年は1,2号機が明野の航空学校で評価試験中だった。
SDレターの1号機、10月の航空祭で展示飛行が行われた。

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1984年12月、滑走路に向けてエアタクシーする2号機、レターはSになった。この頃は黒い機体に白文字でわかりやすかったが迷彩の採用に伴い黒文字になり、低視認性になってしまった。なお地上から排気を地上から探知されない様に上向きの排気ダクトを付けていたが、その後の機体からは廃止された。あまり効果が無かったのだろうか。

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昔のポジをひっくり返していたら明野での変わったのが出てきた。
1981年10月の公開で飛んだUH-1Hは今までとは違う明るいグリーンとグレーの迷彩だったがこれでは逆に目だってしまうと思うが。

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1984年12月20日に訪れた時は塗装は元のままだったが、文字はすべて黒でオーバースプレー、日の丸の白縁も黒塗り、胴体後部の黄色い塗装も黒塗り、水平安定版は何故かオレンジのままだった。
こちらは何かの演習塗装だったようだ。

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1985年11月15日、キャンプフジにハワイから米陸軍のヘリが来て演習をしていると聞き、御殿場まで電車、そこからはバスで現地へ。
狙いは富士山を背景にと期待したのだが、風が強く雪煙が上がり富士山はほとんど見えず期待外れに終わった。
UH-60の後ろにチョットだけ富士山の稜線が見える。

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陸自のUH-1、右下にかろうじて雪煙の富士山。

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キャンプフジの滑走路脇の草地に並んだ米陸軍のヘリ、OH-58やAH-1が見えるがこちらは飛ばずじまい。

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 もう1ヶ月前になってしまったが7月9日、大洗港で毎年恒例の自衛隊地本主催の海自艦艇の公開があった。
 今年は佐世保を母港とする、”さわぎり”と”あさゆき”の2隻のヘリ搭載可能な護衛艦だったが、ヘリは”さわぎリ”に1機だけ搭載、昨年まではへり搭載艦ではなかったのでまあ仕方がないかな。

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 公開終了後にローターを畳んで格納庫に収容するというので日陰でスタンバイ。
手前の転落防止柵がちょいと邪魔。出来れば飛んで欲しかったね。

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 このイベントは海が主体で陸、空はほんのおつまみ、本部長(現在空自が担当、以前梅組の組長だったとか、この日はフライトスーツにパッチが付いていたので判明)にヘリぐらい百里から飛ばしてきてはと提言するも航空祭に行ってねと軽くかわされてしまった。広報活動にはあまり熱心でない感じだね。

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