飛行老人の飛行機話

Yahooからの引越しに伴いタイトルを変更

カテゴリ: ヘリコプター、軍用機

 AH-1Sの続き、

八戸1994JAN0015_R

八戸1994JAN0016_R

八戸1994JAN0013_R

八戸1994JAN0012_R

八戸1994JAN-20082_R













 今日は昨日の続き、十和田湖上空。

八戸1994JAN-20059_R

八戸1994JAN-20062_R

八戸1994JAN-20063_R

十和田湖西岸を南下。

八戸1994JAN-20064_R




 謹賀新年。皆さん新年おめでとうございます。
昨年はコロナ騒ぎ、また自身も色々と悪いことが重なってしまったが、今年は良くなる事を願っている。
 今回のコロナ騒動では総司令官がいかに大事であるかが如実になったが、誰も指摘する人が出ないのはどうしてだろうか?司令官にはだれでも務まる平時と非常事態に能力を発揮するタイプの2種類あるが、現政権では前者であるのは誰の目から見ても間違いないだろう。と言って非常事態に対応出来る司令官候補がいないと言うのも疑いが無い、困ったものだ。
 さて新年早々の画像はと考えて見たが冬らしく雪景色を探してみた。
今から27年前、1974年1月6日、陸自の八戸駐屯地でAHー1Sの初飛行訓練を撮影する機会があった。
 4機編隊のAHー1SをOH-6Dで追いかけるというわけである。撮影者は2人だけだった様に記憶している。
この時は私は遠慮して真ん中の座席に座ったようだ。飛行場は海自八戸基地の北側に位置していて外からの撮影はほとんど不可能だったので陸自八戸の機体を撮れる数少ないチャンスだった。
 離陸後は西へ向かって十和田湖を周回してくるコースだった。

八戸1994JAN0015_R

八戸1994JAN0016_R

八戸1994JAN0013_R








関西在住時はあまり八尾へは足が向かなかったが航空祭には何回か出かけた。
当時の八尾は民間機エリアは西の外れで陸自は東の外れで車が無ければ両方へ行くのは難しかった。
1985年は陸自ではUH-1の過渡期でBとHが混在、また塗装も派手な陸自塗装から迷彩が増えつつあった。
手前がUH-1B、奥がUH-1H。Bはスキッドが短く前かがみ、Hはスキッドが高くなりそっくり返った感じだ。

八尾198511030010_R

八尾198511030011_R

UH-1H。

八尾198511030014_R

現在のUH-1Jと同じ塗装のH。

八尾198511030008_R

明野からデモフライトに飛来したAH-1S、文字が黒になってハッキリしないがSDの1号機。

八尾198511030002_R






もう退役が始まったAH-1Sだが1981年は1,2号機が明野の航空学校で評価試験中だった。
SDレターの1号機、10月の航空祭で展示飛行が行われた。

明野198110040004_R

1984年12月、滑走路に向けてエアタクシーする2号機、レターはSになった。この頃は黒い機体に白文字でわかりやすかったが迷彩の採用に伴い黒文字になり、低視認性になってしまった。なお地上から排気を地上から探知されない様に上向きの排気ダクトを付けていたが、その後の機体からは廃止された。あまり効果が無かったのだろうか。

明野198412200017_R

明野198412200020_R






↑このページのトップヘ