飛行老人の飛行機話

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カテゴリ: 昔の写真、B747

 薬散ヘリは一休み、出しそびれた画像から。
 今は消えてしまったパンナムと並んで日本ではおなじみだったノースウエストの
カーゴタイプ、台北中正国際空港、博物館の展望塔から。色つきガラスなので条件は良くありません。

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 こちらはフェデックスに吸収されて消滅してしまったフラタイの従業員が再起を期して設立したといわれるポーラー、尾翼のマークに面影が見えます、インチョン。

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 パンナムを吸収合併したユナイテッド、この塗装は民間機としては失敗でしょう、暗い印象を与えます、香港。

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 コンチネンタルと合併前のユナイテッド、日本のA社と同じ青、白だけの塗装、こちらは暖色系の色が無い為冷たい印象です。先々代の赤が入った塗装がハワイの空には良く映えたのですが。こちらはサンフランシスコ。

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今朝ラジオを聞いていたら今日は何の日シリーズでBー747の初飛行だったと言っていました。
米空軍のCー141の後継機争いにロッキードCー5Aに敗れたボーイングはパンアメリカンからのオファーにより民間輸送機として開発を続行されました。
Cー5に敗けたもののBー747はその後発展型が色々開発されて現在も生産が続いているのを見るとどちらが勝者かは一目瞭然です。
最初に躓いてもその後に立ち直って逆転がある人生に似ていて面白いですね。
一時は世界の空を席巻したBー747は世界の主な空港で見る事が出来ました。
 
日本に最初に来たBー747はパンナムのホノルル便、羽田には大勢のマニアが詰めかけていたそうですが大幅遅れで夜になってがっかりしたでしょうね。私は行けませんでしたが。
1977年7月、ヒースローのハットンクロスで撮影したパンナムのBー747。
 
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パンナムと並んで日本ではお馴染だったノースウエスト、こちらもいつの間にか姿を消してしまいました。1975年3月ホノルルで撮影。
 
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TWAは那覇へはBー707の貨物便が来ていましたが、旅客定期便は見かけませんでしたね。1976年9月ヒースローデッキから。
 
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エアカナダ、日本へはCPエアーが来ていましたが、CPはエアカナダに吸収されてしまいました。ヒースロー、1976年9月。
 
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