飛行老人の飛行機話

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カテゴリ: 昔の写真、小松

 今日、10月4日は昔のマニアなら誰でも思い出すFー104の語呂合わせ日。
1977年5月12日に訪れた時は205飛行隊の部隊マークは設立当初のままだった。この後Fー4の配備に伴い残念ながら航空団の統一マークになってしまう。この日は南側のタクシーウエイが工事で閉鎖、空自の機体は北側の民間側タクシーウエイを転がっていた。鉄工団地側の基地内の松の木もまだ小さくて撮り易かったが、今では脚立が有っても西側エンドだけになってしまったのは残念。

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 この年は5個飛行隊のハチロクが参加、この後は後継機のマルヨンが増えていく事になる。当然三沢の3sqも参加した。隊長機、528のドロップタンクには空自初のシャークマウスが描いてあったのにはびっくりした。この後三沢の航空祭に行った時も未だ残っていた。

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 大分間が空いてしまったが、1981年の小松でのBIの続き、着陸後の転がり。

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 ウオークダウン。

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 このところ航空祭の中止が続き、出番のないBIだが、その存在を再検討すべきだろうね。
東京五輪にしても前回は開会式に合わせて五輪を描いたのでそれなりに意義はあっただろうが、今回は開会式は夜、午後1時に飛んだというのはどういう事だったのだろうか?
 他の部隊から足りないT-4をかき集めて12機も用意するなんて馬鹿げた事だ。今日のニュースによるどうやらコロナ感染の拡大に役に立った?らしい。
 本末転倒も甚だしいね。










 1981年の小松基地航空祭ではT-2のBIが展示飛行を実施した。天気は残念ながら曇り空だった。

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マルヨン、ファントムが小松にいた頃はかなり通いましたが、最近は年に1回行くか行かないかぐらいになってしまいました。
昨年は航空祭の前に一度だけでした。
冬の小松はなかなか晴れ間が見えませんが、天気予報と休みがたまたま出合った
1979年2月22日はスッキリと晴れて白山が綺麗に見えました。
当時の小松の定期便は羽田から1日3~4便位しかなく午後の便は1便しかまともに
撮れなかったはずです。
Bー727-200、JA8350
 
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