現在の国立ひたち海浜公園は70年前は陸軍水戸飛行学校でしたが、終戦後米空軍に接収されて、在日米空軍(主に入間基地や横田基地所在の航空機の射撃や爆撃の演習場として使用されてきました。自宅からは約20km程離れていますが、時たま自宅周辺までBー57が飛来したのを記憶しています。
また隣接の村松虚空尊へ13参り(13歳時のお寺参り)に行った際にも海岸でBー57が海上から低空で標的への爆撃訓練を見た覚えがあります。
 1964年頃の太田一高在校時には曇り空の日にはバルカン砲の発射音が時折聞こえて来ました。
最初は牛の鳴く様なモーッという音に不思議に思っていましたが後でバルカン砲の発射音と判明しました。
 その後しばらく行っていませんでしたが1970年1月10日の帰省休暇中に出かけた写真が出て来ました。
 この頃の横田駐留はFー4Cファントム、空自のFー4Eとは違ってバルカン砲は機体装備では無くセンターパイロンに吊り下げたガンポッドをぶら下げていました。
空対空に使用するのではなく対地攻撃用でした。
 射撃パターンは南西方向から北東方向に向かって緩降下、標的(縦横10m程の布)を狙って射撃するものです。
 
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この低さは今の空自の飛行場で時たま実施するAGGパターンとは比べ物にならない低さ、50m以下と思われます。
 
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排気の状況から見るとエンジン後部からつながっているのでガンポッドからの排気には見えませんね、この時はドライパスだったのでしょう。
 射撃終了後は上昇右旋回でパターンに入り次の射撃へと2~3機で繰り返していました。