飛行老人の飛行機話

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カテゴリ: YS-11

 小牧で行われた1971年の国際航空宇宙ショーのネガが更に出て来て、こちらの方にデモフライト状況が判るのをスキャンした。
 午後からのフライトだったのでもろに逆光。

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 離陸してすぐにギアアップ、レフトターン。

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そのまま360度旋回、ターミナルビル側に行けば良かったと言っても後の祭り。

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 北へパスしてライトターンして、NO1エンジンを止めてローパス。

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 フラップはランディングポジションではないのでローパスかも、しかしこの後のコマには姿が無いのでこのまま着陸したかも。

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 朝ラジオを聞いていたら今日は何の日でYSー11をやっていた。今からちょうど60年前の1962年8月30日に名古屋空港で試作1号機が飛んだそうだ。私は未だ中学生だったのでニュースで知っただけだったが。
 それから8年後の名古屋航空宇宙ショーでこの機体がデモフライトを披露してくれた。得意の片発停止でのローパスなんかもね。

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 この頃は入間在住だったので空自のYSー11は撮り放題だったが、Cー46の方に魅力が有ったな。

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 1974年6月下旬、羽田空港へ行ったら東亜国内航空のYSー11が2機
VIPスポットに並んでいた。何事かなと待っていたらヨッシャヨッシャの角さんが乗り込んで行った。7月に第10回参議院選挙が行われたので地方へ選挙応援に出かけたのだろう。手前は予備機。

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 YS-11、製造番号2038は1967年5月6日にJA8678で登録された。
翌日広島に本社が有る東亜航空に登録。1971年5月15日に合併により、東亜国内航空となった。(東亜航空と日本国内航空)

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 その後しばらく国内で飛び続け1986年11月17日登録が抹消されてマンダラ航空塗装となりPKーRYZとなる。

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 しかし1年近く羽田で雨さらしにされて再び空を飛ぶ事は無く1988年10月22日登録が抹消されてしまった。 残念ながら東亜航空時代は未だ本格的にマニア活動はしていなかったので撮影機会は無かった。
なおデータは下郷さんの資料による。


昨日は薬散の後、下館で羽田から引っ越してきたJA8610の組み立て作業を公開しているというので行って見た。
開門は10時からというので周辺をウロウロしていたら、YS-11の全機写真が展示されていた。
撮影者は懐かしい大先輩の名古屋の下郷さん、プロフィールもしっかりと紹介されていた。それにしても世界各地にYS-11を求めて良く行ったものだ。下郷さんは根っからのマニアでコンコルドにも乗ったよと聞いた事がある。

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展示は組み立て途中でこの日は作業が無かったらしく説明役がいただけだった。消防法の制約があるとかでほんの一部から見るだけだったのは残念。羽田ではタイヤの扁平を防ぐためにジャッキアップしてタイヤを回転させていたらしいが、どうせならハイドロを入れて空自が航空祭でよくやっているギアのアップダウンを実演したら客寄せパンダになるだろうね。ついでにエンジンに火を入れたら良いと思うけど無理だろうね。

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今日は朝から晴天、近くの紅葉を撮影に出かけると、上空にロールスロイスダートの
エンジン音が聞こえて来ました。西の方から南東方向へ旋回しながら通過して行きました。画像をチェックすると赤い帯、機首に151の文字が見えます。百里へフライトチェックに向かったのでしょうね。
 
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その後は神社の境内へ、漆が朱色に紅葉して綺麗でした。霜が降りると茶色に変色して落葉してしまいます、今が丁度見頃です。
 
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