飛行老人の飛行機話

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カテゴリ: YS-11

 YS-11、製造番号2038は1967年5月6日にJA8678で登録された。
翌日広島に本社が有る東亜航空に登録。1971年5月15日に合併により、東亜国内航空となった。(東亜航空と日本国内航空)

JA8678 (2)_R

JA8678_R


 その後しばらく国内で飛び続け1986年11月17日登録が抹消されてマンダラ航空塗装となりPKーRYZとなる。

JA8678羽田1986110919_R

PK-RYZ羽田1986120223_R

 しかし1年近く羽田で雨さらしにされて再び空を飛ぶ事は無く1988年10月22日登録が抹消されてしまった。 残念ながら東亜航空時代は未だ本格的にマニア活動はしていなかったので撮影機会は無かった。
なおデータは下郷さんの資料による。


昨日は薬散の後、下館で羽田から引っ越してきたJA8610の組み立て作業を公開しているというので行って見た。
開門は10時からというので周辺をウロウロしていたら、YS-11の全機写真が展示されていた。
撮影者は懐かしい大先輩の名古屋の下郷さん、プロフィールもしっかりと紹介されていた。それにしても世界各地にYS-11を求めて良く行ったものだ。下郷さんは根っからのマニアでコンコルドにも乗ったよと聞いた事がある。

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展示は組み立て途中でこの日は作業が無かったらしく説明役がいただけだった。消防法の制約があるとかでほんの一部から見るだけだったのは残念。羽田ではタイヤの扁平を防ぐためにジャッキアップしてタイヤを回転させていたらしいが、どうせならハイドロを入れて空自が航空祭でよくやっているギアのアップダウンを実演したら客寄せパンダになるだろうね。ついでにエンジンに火を入れたら良いと思うけど無理だろうね。

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今日は朝から晴天、近くの紅葉を撮影に出かけると、上空にロールスロイスダートの
エンジン音が聞こえて来ました。西の方から南東方向へ旋回しながら通過して行きました。画像をチェックすると赤い帯、機首に151の文字が見えます。百里へフライトチェックに向かったのでしょうね。
 
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その後は神社の境内へ、漆が朱色に紅葉して綺麗でした。霜が降りると茶色に変色して落葉してしまいます、今が丁度見頃です。
 
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今日のYSー11はミッドパシフィックへ売却されたN107MP。
1985年3月24日、全日空整備で売却整備完了時。
この機体はJA8661として全日空へ引き渡された後、1977年4月にフィリピンへ売却
され、その後はミッドパシフィックへ売却。
整備の為に大阪国際空港に隣接の前ニック整備に飛来して整備作業を実施、1985年4月26日に再度のご奉公に米国に出発しました。
撮影したのは全日空整備の敷地内に植樹され撮影出来無くなったので電柱によじ登って撮った記憶があります。
 
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JA8782は1972年2月15日、全日空へリースされました。
その後1978年7月下旬にリースバックの為全日空整備で返却整備が行われ、出て来た時には尾翼に海保のマークと胴体は塗装前の下地のみ黄色い下塗り塗装という中途半端な塗装で出て来ました。
この塗装で飛んだのは8月14日のテストフライトと8月25日の名古屋へのフェリーフライトだけというチャンスは二度しか無かったようです。
当時の伊丹では常連マニアはごく少なかったので撮影出来た人も限られたことでしょう、中途半端な塗装なので私はあまり好きではありませんが、記録の一旦として紹介します。
 
1978年2月伊丹、千里川32Lエンド。
 
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1978年8月14日、伊丹千里川32Lエンド。
 
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