飛行老人の飛行機話

Yahooからの引越しに伴いタイトルを変更

カテゴリ: ハチロク

 1976年12月7日に浜松へ撮影に出かけた際に基地内にBIのF-86Fが通常のオレンジ以外にタンクを装着した姿を発見したが、飛びそうになかったのでダメ元で
基地広報班に連絡を入れると以外にもOKの返事を貰い、列線を撮影出来た。
 当時は今と違って規制も緩かったのだろうが担当者に感謝するのみである。この時初めて聞いたのだが那覇の航空祭に出かける海越えの為の増加タンクだった。
 従ってチャンスは那覇航空祭の前後、一年間に2回だけという事になる。当時はシフト勤務のサラリーマン、この後一度だけ新田原で待ち伏せして撮っただけだった。

イメージ 5

イメージ 4

イメージ 3

イメージ 2

イメージ 1


 今日は3月6日、306飛行隊を期待していた人は残念でした。(笑)
という事で表題どおり第3飛行隊と第6飛行隊のハチロクです。
 いまやハチロクを知る人は50歳以上になってしまい、最後の第一線舞台から退役してからもう35年が経っています。
 まずは第3飛行隊、私の高校の同級生が最初の部隊配属になったのがこの部隊でした。当時は三沢がまだ共同使用になっていなくて海自八戸基地に間借り、三沢に移動したのは1971年12月でした。
 部隊の尾翼のマークは赤の太い2本線、三沢に移動した後第8飛行隊と第3航空団が編成された後は色違いの青森県をモチーフにしたものに変更されました。
 1969年3月に入間基地に来た3スコのハチロク、懐かしいタワーとハンガー。

イメージ 1

 1976年10月の航空祭では9機編隊のフライト、隊長が機付きにデブリーフィング。
イメージ 2

 第6飛行隊は最後のハチロク飛行隊で1981年2月にF-1に機種更新、最後の頃は機体老朽化に伴いG制限のかかった機体が増え、機首に赤い線を捲いていました。
 1979年10月、G制限の885。

イメージ 3

 同じくG制限の無い962。

イメージ 4


昨日の追加画像。
 
イメージ 1
 
イメージ 2
 
イメージ 3

ハチロクといえば蒸気機関車という人もいるでしょうがわたしにはFー86Fですね。
 
入間在住時には総隊、偵察空が常駐、また各部隊からの連絡飛行やクロスカントリーでほとんどの部隊の
 
ハチロクを見る事が出来ました。
 
そんな中1976年10月3日には三沢航空祭が有り、2度目の三沢訪問となりました。
 
前年には小松で競点射撃大会が開かれ、3スコのハチロクの隊長機のドロップタンクにシャークマウスを描いて
 
参加、マニアを喜ばせました。空自のスペシャル塗装はこの時が初めてだった様に記憶しています。
 
翌年の航空祭に行った際にも未だこの塗装のタンクが残っていて嬉しかったですね。
 
イメージ 1
 
3スコのオペレーション前には松ノ木が生えて芝生が有りましたが最近行った際には見当たりませんでした。
 
イメージ 2
 
帽子のひさしに模様が入っているので佐官、多分飛行隊長でしょう。
 
イメージ 3
 
9機か10機編隊飛行を終えてデブリーフィング?(談笑する)10人の3スコパイロット。オレンジのスーツに
 
赤い識別帽は今のモスグリーンの野暮ったいのに比べると絵になります。
 
イメージ 4

↑このページのトップヘ