飛行老人の飛行機話

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カテゴリ: 昔の写真、海自

記録が無いのでハッキリしないが1990年頃次期対潜ヘリにSH-60Jが決定し、51空で運用テストをしていた頃の公開日。雨上がりだったのでエプロンには水溜りが。チョット拝借した。

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オマケは1978年、岐阜の南側の長良川。岐阜の離着陸の空いた時間に南の方でヘリがホバリングをしていた。駆けつけると河川敷の林の空き地でホバリング訓練をしていた。正面からも撮ったがカメラを構えたおじさんが林の隙間から姿を現したのを見た見たPさんはビックリしただろうね。
小牧救難教育隊のS-62A。

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1985年1月7日の館山は飛行始めだった。
飛行前だったか飛行後だったか定かではないがエプロンに在庫一掃か横一線にずらりと並べてくれた。
一番奥には南極観測船だった”ふじ”搭載の南極塗装の機体が2機見える。
今考えれば整備用の脚立を借りて俯瞰撮影すれば良かったと後悔。

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昨日の続き、P-3Cとの編隊飛行を終えた後P-2Jだけで撮影を続行。
大隅半島の東側へ来たら青空が広がり、海面を入れて撮る事が出来た。
旋回する編隊の外側だったのでほとんど同じ様な画像になってしまったのが残念。

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もうかれこれ28年が経ってしまった1992年1月9日、第7飛行隊のP-2Jの最後の初飛行に参加することができた。
当日の鹿屋は前日の雨がうそのような晴天、配備されたばかりのP-3Cを長に3機のP-2Jが飛んだ。
我々の乗ったP-2Jは撮影の為に色々と工夫して飛んでくれたが、振り返ってみればああすれば良かった、こうすればよかったの後悔がしきりである。海上へ出たら雲が多くなり雲上での撮影になってしまったが、対潜哨戒機、海をバックに撮りたかった。

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 2006年5月14日、岩国の公開が終わった後再度訪問したが...
お目当ての米軍機は飛ばず、ガックリ。その代わり海自のFP-3が延々とタッチアンドゴーやローアプローチを繰り返していた。部隊マークは以前から無かったが、怪しげなレドームを満載、マニア心をくすぐってくれる。

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