飛行老人の飛行機話

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カテゴリ: 昔の写真、徳島

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1974年の徳島公開では訓練機がレシプロのBー65だったのが10年後の1984年公開時には

TCー90に機種改編されていました。

Bー65も後半には垂直尾翼に後退角がついていたので機種改編しても外見上はあまり違和感が無かった

ですね。

国土地理院から運行を委託されていたくにかぜ兇麓永未琉戮胴体の帯は青でしたね。

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徳島のSー62を探していたら同じネガには航空祭の画像が有りました。

1974年5月26日の公開当時はトラッカーの部隊は鹿屋へ移動して、宇都宮からBー65の202

飛行隊が移動してきていました。

当時の航空祭では多数機による編隊飛行が定番でこの時もBー65が9機編隊飛行をしました。

マニアとしては下から見上げる編隊飛行よりも着陸後に一列縦隊で転がって来る方が嬉しかったですね。

救難用のSー62は固定翼配備基地の下総、厚木、徳島、小月に配備されていたようです。

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海自はヘリ部隊の配備がない基地には救難用ヘリを配置していました。

外形がHSSー2によく似た単発のSー62を使用していたのはコストが安かったからでしょうか。

その後HSSー2の民間型Sー61に変更しましたが、整備の互換性を考えたら最初からSー61を導入

したほうが良かったような気がします。

画像は1974年5月26日の徳島基地公開です。

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