飛行老人の飛行機話

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カテゴリ: 昔の写真、松島

1977年7月31日は1975年、1976年に続いて3回目の松島基地公開訪問でした。
 
前年までは白い大きな4の飛行隊マークも正式な21飛行隊になった為か、松葉マーク、しかも日の丸よりは
 
小さくという内規で見栄えがしなくなってしまいました。
 
この日の展示ではTー2、Tー1、Tー33と空自が使用していたジェット練習機が並んで展示されました。
 
並べ方はどういう考えで並べたのか興味のあるところですが、ステップアップ順なら、Tー1、Tー33、Tー2だし、
 
地元のTー2が主役だったら真ん中へ並べるのが妥当ですね。関係者に聞いてみたいところです。
 
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1993年4月27日は松島基地へTー2を撮りに出かけました。
 
この時はタクシーウエイ工事中だったのでワンフライト分が着陸後まとめてランウエイタクシーバックという
 
珍しい方式で運用していました。
 
離陸はほとんどがソロ、編隊離陸は3回だけでした。
 
機体は多少かぶっていて、ギアアップが遅くやっと持ち上がり始めたところ。
 
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ギアは良い感じでしまわれていますが、機体がかぶってしまいました。
 
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やっとギアアップした後のまともな編隊離陸です。196はTー2の最終号機ですね。
 
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おまけはワンフライト纏めてのタクシーバックです。
 
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追伸、GO NAVY BBSⅡ に T-2の全機画像集があります、興味のある方はそちらもご覧下さい。

現在企画物のTー2プロジェクトに参加しているが、総生産96機ということもあり、なかなか進んでいません。
 
主催者もかなりの長丁場になりそうなので難儀しているようですね。
 
さて今日はそちらへの紹介漏れから。
 
102号機はてっきり岐阜の実空所属だとばかり思っていましたが、松島で臨時訓練部隊ができてしばらくの閒
 
派遣されていた様で今回改めて認識しました。塗装は尾翼のみ白い4が描いてあり、胴体はジュラ地のままでした。
 
1976年7月31日、松島航空祭。
 
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胴体をグレイに塗った118号機の列線、同じく1976年7月31日。
 
今ではFー4以外は外部電源、ニューマチックを使用しないので地上の撮影はスッキリするが、面白みは無く
 
なりました。35mmでこんな感じ、かなり近くまで近寄れました。
 
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1976年10月3日の三沢航空祭に展示された120号機、2つサクラのプレート、4空団司令でも来たのでしょう
 
ね。
 
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今日スキャンした中に1976年7月31日、基地公開の時の画像がありました。

この頃は戦闘機課程の超音速練習機、Tー2の部隊配備が松島で始まりました。

松島にはFー86F、Tー33A、Tー2の3機種が揃っていました。

インパルスのハチロクは旧アラートハンガー前、奇しくも現在のインパルスのエプロン前の誘導路に

並んでいましたね。

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