飛行老人の飛行機話

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カテゴリ: 昔の写真、F-4

 今日は304飛行隊の日(公式では有りません)
304飛行隊は1977年にハチロクの老朽化に伴い第10飛行隊が解隊され新たに
F-4で新編されました。
 当時は第6飛行隊がハチロク最後の飛行隊だったのでF-4はおまけでした。
1979年1月、新田原でダートターゲットを付けて離陸する391。

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1979年10月、今は無くなってしまった築城の転がりポイントから、409。

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1979年12月、戦競参加後の366。

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 今日は303飛行隊のF-4。
1976年に新編された303飛行隊は前身のF-86F装備、第4飛行隊からの伝統を受け継いでいて、当初は205飛行隊との共通第6航空団のマークを付けていましたが、その後306飛行隊の新設に伴いドラゴンが飛行隊マークに採用されました。 ドラゴンは第4飛行隊のコールサインだったそうです。
 共通マーク、1978年6月。

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 ドラゴンに変わった1982年6月のACM,シャークマウス付き。

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 今日はF-4の302号機ではなく302飛行隊。
流浪の302飛行隊、編成は千歳基地ですがF-104Jの退役に伴い那覇に移動、その後南西方面の戦力強化に伴い、204飛行隊と交代して百里基地へ移動、現在に至っています。
 1980年代初頭は毎年戦競時期に各部隊で迷彩の研究が行われていました。
F-4では302飛行隊が先駆け的な迷彩研究をしていましたが、北海道という地形的に遠い場所の為、なかなかお目にかかれませんでした。
 そんな中1981年5月に千歳基地へ行って来ました。

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 翌々年の1983年3月に訪れた千歳、432号機は暗い塗装に変わっていました。
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 1980年頃の小松はファントムの基地、今はF-15になってしまった龍とイヌワシ
もF-4でした。
 この頃は各飛行隊それぞれに戦競には工夫を凝らした迷彩塗装を出して来ました。
またそのフェイカーには目立つオレンジ色の塗装がされていました。
 背景の雪山が珍しくはっきりと見えますが午前は晴れても午後は山が雲に隠れる事が多かったです。この頃は大阪から日帰りでよく小松へ通ったものです。

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今日は何の日シリーズ最終回、306飛行隊です、
Fー4最後の飛行隊、205飛行隊のマルヨンの退役に伴い、1981年6月30日に小松基地の第6航空団に新編されました。
1981年9月小松。
 
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1982年6月の小松での戦競にはカウンターシェイド迷彩で初参加。シャークマウスを描いたのも有りました。
 
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1986年戦競では一番派手だった、胴体に2本の黄色の稲妻が描かれていましたね。
 
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1994年5月から6月にかけては千歳での戦競に参加、この時はオーバースプレイグレーロービジ塗装でした。
 
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その後301、302飛行隊がファントムを飛ばし続ける中1997年3月18日に
Fー15に機種改変してしまいました。

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