飛行老人の飛行機話

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カテゴリ: 昔の写真、F-4

 今日は3月2日にちなんでF-4EJの302号機。
1971年7月に完成機を米国から輸入して長らく岐阜の実空に在籍していたが、301号機は実空で最後を迎えるようだがその後302号機は那覇の302飛行隊に放出された。
 1979年5月岐阜、何かの計測機器を付けていた。

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 1985年12月、301号機のターゲットドローンのテストのチェイス。

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 その1週間後、2機のマルヨンと岐阜ランウエイ27にラインナップ。

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 同じ日の着陸。

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 2002年12月の那覇航空祭でフライト。

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 2004年11月の那覇、空自40周年記念塗装と並ぶ302飛行隊30周年記念塗装機。この塗装では結局飛ばなかったそうだ。聞くところによるとキャノピーフレームが整合せずコックピットの与圧が出来なかったとか。
 その後百里へ移動後は見かけることが無かったので用廃になったのかな。

302那覇20041126_R


先日はT-2CCVだったが、今回の岐阜はF-4EJの301号機。
1985年12月9日の岐阜、301号機はターゲットドローン、XJ/AQM-1のテストをしていた。
着陸でも落とさないで帰ってくると思っていたが付いていてヤレヤレ。

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オマケに1984年11月の岐阜基地航空祭に展示されたCCV。

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 先日305飛行隊のF-4を紹介したが、画像の残りがあったので今日はその2
雪の降った翌日、1984年2月の百里、戦競迷彩機の346がダートのトウシップで出て来ました。

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1984年1月26日、AIM-4Dをぶら下げて転がる371、YT氏撮影。

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 今日は先日出せなかった301飛行隊。
F-4最初の飛行隊、301は百里で開隊され今は新田原、しかし今年は生まれ故郷の百里へ帰ってくるとか。またマフラーの星が7つに復活するかな。
 1981年5月ノータンクで離陸、当時は排気煙がかなり黒いですね。

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 1984年2月雪の翌日集塵ポッド付き。

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 同じくダートターゲット付き。

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 仮想敵機、ミグ21を描いた428シルエットは原寸大?

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 1984年4月のダートターゲット。

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 今日は3月5日ということで305飛行隊と305号機。部隊名との相性が良かったのか結構長い間305飛行隊に在籍していました。
 1980年11月小松にロケット弾射撃の為展開。

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 1983年3月、戦競迷彩塗装、洋上迷彩の走りか。

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 1986年の戦競塗装はインテークベーンのみの簡素なもの。日の丸の右上の
7Gは弾の当りが良い機体と聞いています。

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 1991年10月には空自F-4、20周年記念塗装。

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