飛行老人の飛行機話

Yahooからの引越しに伴いタイトルを変更

カテゴリ: 昔の写真、米国民間機

 ハワイ島ヒロ空港と違ってホノルルでは晴天だった。
前年ホノルルへ行った友人の話ではFー102が飛んでいたというが半信半疑で行って見たらハワイANGの機体が飛んでいて感激した。横田では展示された機体しか見ていないので、Fー102が飛んでいる姿を見たのはこの時が最初で最後になった。

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 Tー33もジャミングポッドを付けてフェイカーミッション。

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 更に驚いたのはBー47が飛んでいた事、しかもNAVYの所属だった。

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 1月6日はF-106。
F-106はその任務上海外展開することは稀だった。唯一の例外がプエブロ号事件で韓国へ展開した事だろう。
 日本へはその期間でCAP中にエマーで降りたのか横田への飛来だった。平日だったので撮影できたマニアは極少なかった。
 何時かは撮りたいと思っていたが1980年にウイリアムテルに誘われ念願が果たせた。

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異機種編隊でF-101とローアプローチ。

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おまけにそのF-101の転がり。

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 この公園で様子を見ていたら海風なので着陸する機体がバッチリ。
しかしマニアも居ないし、撮影している人も見当たらない、幸いシェリフの職質もなく撮影終了。
 嬉しかった赤いファントム、QF-4B。

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 PMTC,通常塗装。

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 日本ではお目にかかれなくなってしまったEC-121。

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 残念ながら興奮して手振れしてしまったS-2E、証拠写真だが。

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 今日は何の日の続き、1973年に始めて行った米国、2回目は1977年に単独行動、色々あったけど無事に帰国、往復は今は無きPAAだった記憶が。
 1973年7月、サンディエゴからロス経由でオンタリオ空港へ、スポットにはイースタン航空のB727がいた。この時は空禅一如さんと一緒にチノまで行ったがたいした収穫は無かった。反対側のANGのエプロンにはF102の列線が見えたので往復1時間ほど歩いたのを思い出す。

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 1977年、初の単独西海岸ツアーに、レンタカーを借りたが事前に沖縄で右側通行の練習をしてから出発、アリゾナのユマまで往復した。
 ロスでのUA新塗装のB727。

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 サンデイゴのAAのB727。

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 同じくPSAのB727、A社では何機かのB727をリースしていた、Nナンバーで最後2桁はPS。

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 同じくコンチネンタルのB727-200、コンチは今のUA塗装よりも断然こちらの方が似合っている。

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 早いもので初めて米国へ行ってから40年以上も経ってしまいました。
友人と3人でハワイへ行った後、翌年単独西海岸ツアー、1970年は足を延ばしてサンフランシスコまで行ってナパを訪れました。
 ナパはワインの産地として有名ですが、そちらにはとんと興味が無く目的地はJ社の飛行訓練基地、ナパ空港です。当時の訓練はコストの安い米国で行われていてジェット機への転換訓練にダッソー社のファルコンが使用されていました。
 鶴マークが付いていながら日本では見る事が出来ないのでサンフランシスコ迄行ったついでに出かけた次第です。
 幸いにもJ社の担当者のご好意により撮影する事が出来ました。残念なのはもう1機居るはずのN131JAが撮れなかったのと動いている姿を撮れなかったことでしたがJ社以外では貴重な記録になると思います。

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 明日より避寒に出かけます、来週始めまで更新は休みます、悪しからず。

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