飛行老人の飛行機話

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カテゴリ: 新田原

 今から丁度30年前の新田原基地、演習だったのか西側のエンドにF-15が並んでスタンバイしていた。
その中には前年秋の戦技競技会に参加した202飛行隊の塗装機が混じっていた。
 202飛行隊はF-104Jからの機体更新だったがそれまでの黄色いVマークは通達により日の丸サイズの埴輪になった。戦技競技会で復活したVマークだったが、202飛行隊は23飛行隊に改編されたのでこの時だけで終わってしまった。

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 昨日の続き、あの頃は良かった。(老人の独り言)
この頃の列線は今と違って滑走路に機首を向けて横一線に並べる方式だった。横並びを撮りたかった。

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西側の西都市方面からアプローチするマルヨン。

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 最近スキャンした画像で1982年10月に新田原で撮影したマルヨン、この頃は202飛行隊がF-15に機種改変中だったが、未だマルヨンの黄金期だった。
 新田原は海が近いので冬型が強くない限り、朝のうちは西上りでも午前中に東上りにランウエイチェンジしてしまう。マルヨンはT字尾翼なので午前東向き、午後に西向きで飛んでくれるのが理想的なのだが、なかなk思ったように風は吹いてくれない。幸いにもこの時は午前の早い時間から東風だった。
 毎年マニアを喜ばせる戦技競技会塗装も飛んでくれた。

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 背景に写っている白い尾翼は外来で飛来したUSNのUS-3A。

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 一日遅れてしまったが、15日つながりのF-15。
早いものでもう39年も経ってしまったが、F-15が新鋭機だった頃は未だ機首にナンバーが入っていなかった。
 モータードライブで撮影した離陸の連続写真。

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 一見南国情緒のヤシの木に見えるが、日本各地で見られる棕櫚の木、何時の間にか姿を消してしまった。







 今日はカエルの色付きが飛びそうだというので百里へ。
念のために早朝出勤したが、ファーストは無し、セカンドもノーマルが3機。やっとサードで青と黄色がT-4と飛んでくれた。待ちくたびれて疲れてしまったので画像は後程。
 今年で終焉を迎えるカエルだが、1993年12月には20周年記念行事でが有った。
ネガカラーが出てきたがK社のポジに比べると変色が激しく補正したのだが全体的に黄色くなっている。

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