飛行老人の飛行機話

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カテゴリ: 新田原

 昨日の続き、列線に並んだ5機のうち3機が飛んだ。

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 飛行を終えて戻って来たパイロット、当時はパラシュートは座席に装備されておらず装具室から背中に背負って行った。重さは20kg近くあると聞いた。37年後の今は何処でどうしているのだろうか。

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 1985年12月1日は新田原航空祭だった。
当時はFー1やTー2が現役、AGRSも新田原をベースにTー2で飛んでいた。部隊発足当初は通常塗装だったがその後より実践的なオーバースプレーの迷彩になった。
 地上展示された171、機首番号は3桁からロシアを意識した下2桁の赤文字、インテークベーンに記入された"GRAND"は当時の飛行隊長のTACネームと思われる。

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 列線に並んだ、飛んだAGRST-2。

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 今から丁度30年前の新田原基地、演習だったのか西側のエンドにF-15が並んでスタンバイしていた。
その中には前年秋の戦技競技会に参加した202飛行隊の塗装機が混じっていた。
 202飛行隊はF-104Jからの機体更新だったがそれまでの黄色いVマークは通達により日の丸サイズの埴輪になった。戦技競技会で復活したVマークだったが、202飛行隊は23飛行隊に改編されたのでこの時だけで終わってしまった。

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 昨日の続き、あの頃は良かった。(老人の独り言)
この頃の列線は今と違って滑走路に機首を向けて横一線に並べる方式だった。横並びを撮りたかった。

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西側の西都市方面からアプローチするマルヨン。

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 最近スキャンした画像で1982年10月に新田原で撮影したマルヨン、この頃は202飛行隊がF-15に機種改変中だったが、未だマルヨンの黄金期だった。
 新田原は海が近いので冬型が強くない限り、朝のうちは西上りでも午前中に東上りにランウエイチェンジしてしまう。マルヨンはT字尾翼なので午前東向き、午後に西向きで飛んでくれるのが理想的なのだが、なかなk思ったように風は吹いてくれない。幸いにもこの時は午前の早い時間から東風だった。
 毎年マニアを喜ばせる戦技競技会塗装も飛んでくれた。

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 背景に写っている白い尾翼は外来で飛来したUSNのUS-3A。

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