飛行老人の飛行機話

Yahooからの引越しに伴いタイトルを変更

カテゴリ: 台湾

 今日のネタはC-123K、台湾の岡山軍官学校前の教育施設の一環として退役したROCAFの機体や本土から亡命で飛来した機体が展示されていた。
 展示されていたCー123Kは黒猫中隊の機体で凸凹が有り、ECM任務に就いていたと思われる。
昔AR誌に京都のK氏が松山空港で撮影したこの機体の写真が出ていたが、塗装はダークグリーンと黒の迷彩だった様に思う。昔の事を知る人が少なくなって塗装の塗りなおしでこの塗装になったようだ。

岡山展示20080427141

岡山展示20080427142

 2016年に新しい施設が飛行場北側に出来て移動したが、googlemapによると入りきれない大型機などが未だ5,6機元の展示場に置いてある。

 今日、1月19日はC-119の日。
今から60年ほど前の1960年頃、冬の晴れ渡った我が家の上空を機体を銀色に輝かせて飛ぶ双胴の飛行機を鮮明に記憶している。当時は戦記物等を愛読していたのでてっきりP-38とばかり思いこんでいたが、後で米空軍のC-119と判明した。しかし私が撮影を始めた頃には日本の空から姿を消していた。
 しかし1992年4月に台湾を訪れて台北、松山空港へ行った際にROCAFのC-119を撮影する事が出来た。
当時は未だ戒厳令が敷かれていて空港での撮影は禁止されていた。そこは蛇の道は蛇でマニアは色々と考える。
 空港近くではヤバそうなので新生公園のベンチで待機、周りに人の姿が見当たらない時だけカメラを取り出し素早く撮影バッグに戻す動作を繰り返した。残念ながら天気が良くなかったが、C-119の飛んでいる姿を撮る事が出来た。

3186松山19920418 (3)_R

3120松山19920418_R

 転がりは撮れないかと空港近くの道路をウロウロしていると建設中の建物を発見、屋上へ上ると空港内が見渡せた。しばらくすると隣の建物の住人と目が合ってしまった、早々に退散。証拠写真が撮れただけでもめっけものだった。結局この時がROCAFのC-119に遭遇した最初で最後のチャンスだった。

3120,3189松山19920419_R








台湾でも少数のトラッカーが運用されていた。
エンジンをターボプロップに換装されたS2T、当初は塀東基地所在だったが、後に海軍所属になり桃園基地に移動、その後再度空軍へ、基地も塀東へ戻った。
1980年代に台湾へ行った際に塀東基地の着陸地点まで歩いて移動中に上空をパスして降りた姿を見ただけで撮れずじまいだったのが後になんとか飛んでいる姿を見る事が出来た。
レシプロ独特のバラバラという音はターボプロップの静かな音に変わってしまったが飛ぶ姿を見る事が出来たのは嬉しかった。
台湾のS2Tは全機にシャークマウスが描いてあった。1996年8月18日、塀東基地公開。

台東199608180012_R

台東199608180010_R

1998年8月16日、塀東の前々日、中正国際機場(現桃園国際空港)にあった航空博物館に展示されていた
S2E。空港拡張に伴い取り壊されてしまったが此処にあった機体はどうなってしまったのだろうか?

桃園199608160013_R

1997年8月31日に訪れた岡山基地(空軍軍官学校)正門前にあった航空資料館に展示されていたS2E。
この資料館も基地の北東へ移転して室内展示機が多くなったと聞いているが実情は不明。当時の開館は土曜日曜に限られたので行けるチャンスは少なかった。

岡山199708310020_R

岡山と桃園の機体は連番だが、2101は何処にあるのかな?








 今日はS-70C、地上展示は3機。

イメージ 7

イメージ 8

イメージ 9

 影の方から飛んできたS-70Cはソナーディッピングのデモをして着陸という芸の無い演技、飛んだだけましと言う感じだった。

イメージ 6

イメージ 5

イメージ 4

イメージ 3

イメージ 2

イメージ 1

 今日は当日の主賓、S-2T。

イメージ 5

イメージ 4

イメージ 3

イメージ 2

イメージ 1


↑このページのトップヘ