飛行老人の飛行機話

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カテゴリ: 昔の写真、伊丹

 5月31日、ILー62は2機離陸して長崎へ向かったようだ。当時を検索すると長崎と有田を訪問したとある。
長崎ではお泊りせずそのまま帰ったようだ。
 なおTUー134の離陸はポジが見当たらないので別の日に上がったようだ。

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 今から40年前、1981年5月に未だベルリンの壁が有った頃、東独の国家元首だったホーネッカー議長が来日した。到着は当然羽田だったがお決まりの関西旅行をして行ったので伊丹でも撮影のチャンスが有った。
 東京での行事が終わって5月29日に伊丹へ飛来したのはILー62が2機と随伴機、TUー134だった。本人は多分新幹線で来たと思うのでフェリーだったようだ。

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 5月31日まで伊丹に駐機していたがスポットは32RエンドのANAM前、マニアには嬉しくない場所だった。
TUー134は近くまで行ったらドアが開いていたので中を見たらドアの内側にひもが張ってあって何やら洗濯物らしきものがぶら下がっていたのを覚えている。宿代をケチったのかはたまたガードマンが中で寝泊まりしていたようだ。

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 こちらは本番の日の伊丹の10番スポットに駐機するトライデント、番号が違っていた。

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 おまけに中国民航(CAAC)のトライデント。週一か週二で伊丹への定期便で来ていたがその後B707になってしまったので撮影のチャンスは多くなかった。

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 1981年10月、中国の鄧小平主席来日に伴い中国空軍のトライデントが飛来した。
来日時は羽田だったが帰りは伊丹からだった。
 この頃は官民共々日中友好の熱に浮かされていたが、当時の政治家で今の尖閣問題を予想した人は居なかっただろう。もう少し先を読む目力が欲しかったが後の祭り。技術移転は慎重にして欲しいものだ。
 10月10日、大阪国際空港。

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1975年の10年後、1985年2月の伊丹空港。
全日空はB767の導入に伴い今も続いているトリトンブルーの塗装に変更、B727も数を減らしていたがローカル線で飛んでいた。

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印度航空はB747に機種変更していた。それにしてもこの塗装は客室窓枠すべてに縁取りの塗装をしたものだ。

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