飛行老人の飛行機話

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カテゴリ: 昔の写真、伊丹

1975年の10年後、1985年2月の伊丹空港。
全日空はB767の導入に伴い今も続いているトリトンブルーの塗装に変更、B727も数を減らしていたがローカル線で飛んでいた。

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印度航空はB747に機種変更していた。それにしてもこの塗装は客室窓枠すべてに縁取りの塗装をしたものだ。

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今は伊丹空港と言われているが1975年当時は関西空港が開港しておらず、大阪国際空港と呼ばれていた。
騒音問題で新規乗り入れはほとんど無くてマニア的にはあまり面白みが無かったが、手軽に撮影出来た事もあり会社の行き帰りや休みの日には良く通っていた。勿論自衛隊や米軍基地にも良く行っていたが。
この頃は未だ第一世代や第二世代のジェット旅客機が主役だったが流石にカラベルやコメットは日本では見かける事は出来なかった。1970年頃まではタイや中華のカラベルが伊丹にも飛来していたらしいがその頃は未だ関東在住だった。
トンネルの西側、今は公園になって撮影環境は随分良くなったが当時は脚立が必需品、旧国際線ターミナルには大韓航空のDCー8-63、中国民航のB-707、JALのB727-100が見える。

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32Lを離陸するモヒカンルックのB727-200、背景に見える全日空マークの格納庫やS-1ビルは解体されてしまって面影は無い。

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印度航空のB707,他の会社はほとんどPW社のターボファンエンジンになってしまったが、此処はRRのターボジェットにハッシュキットを着けて運用していた。

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印度航空といえば、32Lを離陸して左旋回が規定されていたのに右旋回をして行ったのを見た事がある。この時はラジオを聴いていなかったが管制官は焦った事だろうね。
日本のパイロットがやったら即飛行停止を喰らっただろうが、この時のパイロットにはお咎めは無かったのかな。
当時の関係者に聞いてみたいものだ。




1975年当時、関西住人だった私はせっせと大阪国際空港(現伊丹空港)に通っていた。
未だ関西空港が出来る前なので国際線も飛んでいた。
今は国内線ANAターミナルだが当時は国際線ターミナルだった。

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国際線スポットに駐機する中国民航のB707、当時の国際線はPBBはなくタラップ使用の自走式だった。

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AランをクロスしてBラン(32L)に向かうタイ航空のDC-8、SAS塗装からやっと自前のシンプルな国花の蘭のデザインになった。

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32LにラインナップするエアインディアのB707、そういえばIDRを無視したのか理解出来なかったのか離陸して右旋回したエアインディアのB707を見たことがあった。その後お咎めがあったかは定かではない。

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東南アジア方面に飛んでいたJALのDC-8、背後に見えるB727は釜山に飛んでいた。

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この頃のANAは国内線専門、香港にわずかにチャーター便が飛んでいた主役のB727-200。
後方に見える格納庫や右側に見えるS1ビルも今は解体されて遠い過去になってしまった。

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 JAA、日本亜細亜航空を知る人も少なくなって来ました。
20世紀後半、当時の首相カクさんが日中国交回復に伴い生まれた鬼っこ的存在の
航空会社も台湾と大陸の往来が頻繁になったのに伴い存在意義を失いいつの間にか姿を消しました。
 塗装から見れば判るとおりJALのデザインにタイトルと尾翼のマークに変更を加えただけというお手軽な塗総、解説当初はDC-8で運行していましたが1984年頃から
B747に機材変更されました。路線は羽田、大阪から台北、香港路線だけだったようです。
 今の大陸を見ると国交回復による経済援助その他の恩をすっかり忘れてしたい放題言いたい放題、先人の名言”井戸を掘った人の恩は忘れない”とのことわざはすっかり忘れているようです。
 草葉の陰のカクさんが生きていたらなんと言うでしょうか、聞いてみたいものです。
1985年1月の伊丹カーブ、伊丹市瑞ヶ池k付近から。機体はどちらもJA8103。

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その1年後、同じ場所。昆陽池辺りから撮ればかなり背中が見えたかも、1000mm
のレンズがあったらね。

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1978年10月の訪日の際に大阪にも立ち寄り、伊丹から帰国しました。
碓か東京ー大阪の移動は新幹線で乗機のトライデントはフェリーされてきたように
記憶しています。
今の某国主席は日本と同じく見栄を張ってBー747を使っていますが、当時は見栄を張らずにトライデント、しかも空軍機での来日でした。2機のうちの1機は予備機兼随行者用だったようです。
トライデントはしばらく日中定期便で飛来していましたが、空軍塗装はこの時だけしか見られませんでした。
 
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