飛行老人の飛行機話

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カテゴリ: 昔の写真、B727

 今日は早くも7月の終わりが近づいた27日になってしまった。
という事で私には関わりの深かったB727。
 JA8336、1974年の那覇、36の上り。

JA8336,1974OKA_R

 JA8337、1973年1月、大阪32Lの降り。

JA8337,1973JAN (2)_R

 JA8338、1973年2月、大阪32Lの上り。この画像はANAMの何かの記念用に提供したので誰か見た事が有るかもしれない。

JA8338,1973FEB_R

 JA8339,1973年1月、大阪の32Lエンドへ転がる。この後騒音規制で離陸機は新設されたインターセクションから上がり、特別の事情が無い限りエンド迄転がらなくなった。購入されて間もない頃の新造機だったのでピカピカだった。

JA8339,1973JAN (2)_R



















 

今日はストレッチタイプのB-727-200。
N546PS,1973年6月サンディエゴ。窓下の胴体のラインは黒、窓の上は赤茶色という地味な旧塗装。
日本でもA社がリースした際にこの塗装で来た事があるが、伊丹へ到着後塗装が変更されたので見るチャンスはかなり少なかったと思う。

N546PSSDG1973JUN_R

N532PS、1977年3月、サンディエゴ、L1011購入の新塗装だったようだが肝心のL-1011は購入されず、その後サウスウエスト航空に合併された。

N532PSSDG1977mar_R

同じくN532PS、1977年11月、サンディエゴ。PSAの文字が白抜きになっていた。

N532PSSDG19771129 (2)_R

N2815W,1977年11月、サンディエゴ。こちらも以前は茶色のラインとインディアンヘッドが描いてあったが、新塗装はシンプルでインパクトのある塗装になった。

N2815WSDG19771129_R

N88703,1977年3月、サンディエゴ。今はユナイテッド航空と合併して社名は消えてしまったが塗装は未だ残っている。白い機体に金と赤の帯は青空に良く映える、コンチネンタル航空は新塗装よりも旧塗装のほうが良かったと思うのは私だけかな。

N88703SDG1977mar_R












今日は1970年後半に米国で撮った画像B-727-100から。
N8145N、イースタン航空、1973年6月30日オンタリオ空港、この日はサンディエゴからロスアンゼルス経由でチノへ行った際に撮影、エプロンとの境は1mも無いフェンスだけだった。

N8145NONTARIOUSA19730630_R

N7072U、1977年11月25日、サンディエゴ、旧塗装。

N7072USDG19771125_R

N7415U、1977年2月ロスアンゼルス、日付けは古いがこちらが当時の新塗装。

N7415ULAX1977FEB_R

N1935、アメリカン、1977年3月、サンディエゴ。

N1935SDG1977mar_R

レジが読めないPSAの新塗装、1977年3月、サンディエゴ。PSAのレジは読みにくい場所に書いてある。

USA1977mar0007_R















久し振りに今日は何の日シリーズ。
私が本格的に写真を始めた1970年頃はB-727の全盛期だった。
JA8316、羽田空港。ランウエイ04沿いのNo3スポットからプッシュバックしたところかな。
当時の担当整備士は2人一組だった。当時のツナギは白、その後目立つオレンジ、空色に変わった。
被る帽子の色で資格が分かった、オレンジは社内資格、赤は国家資格、黒は管理職。機首にいるもう一人は
ランプコーディネーター。まさかこの時点でB-727に関係するとは夢にも思わなかった。

JA8316羽田1970年頃_R

JA8318、この頃の羽田空港は沖合スポットもなくスッキリしていた。

JA8318羽田1970年頃_R

ワールドエアウエイズ、レジは不詳、横田基地のランウエイ36へアプローチ。

横田19690323_R

エアリフト、こちらも横田基地、36へアプローチ。

横田1970年頃0022_R

N5055、サザンエアウエイズ同じく横田基地の36へ着陸するところ。3社共に横田をベースに東南アジアを行き来していたようだ。

N5055横田1970年頃_R



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 今日7月27日は語呂合わせでB-727の日です。

 B-727と言えば私とは深いつながりが有りますが、ここでは省きます。

 B-727といえばANAとJALの競争で運輸省の裁定により両社がそれまでは別々だった機種を同じ機種導入という経緯がありました。

 ANAはその後ストレッチタイプを導入しましたがJALは原型機のみで終わりました。


 B-727-100は紺色の帯でカッコ良かったですが、その後ー200の導入に合わせて、 B-737と共にいわゆるモヒカンルックの新塗装になってしまいました。

 流石旅客定期便からは退役したようですが、貨物機として東南アジア、中東などで飛んでいるようです。

上は羽田空港の旧消防署付近、下は伊丹空港の32Lエンド、千里川堤防での撮影です。

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