飛行老人の飛行機話

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カテゴリ: 昔の写真、デュッセルドルフ

 1982年頃は今のように航空機制作会社が倒産、合併しておらずいろいろなタイプの飛行機が飛んでいました。
 
 Bー737やDC-9も増えていましたがまだまだメジャーにはなっていませんでした。
 
 B-737は当時は主脚が短いためストレッチは無理だと言われていましたが、 DC-9は短いのから長いのまでいろいろありました。
 
 SASのDC-9は21型で長さは10型と同じです。座席
 
数は90席、オールエコノミーだと横5席だから18列になります。
 
 このSASのDC-9にはチューリヒからコペンハーゲンまで乗った事が有りましたがガラガラ状態でした。
大幅に遅れたのでレンタカーの手配が心配でしたが連絡をしてくれたのでなんとか借りられ、市内に1泊翌日は早朝に出発、フェリーでスエーデンに渡り基地公開に行った思い出が有ります。
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 イベリア航空のDC-9は32型でした。
 
 これは20型をストレッチして座席数を115席にしたものです。
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 イネエックス アドリア航空(旧ユーゴスラビア)はさらに延長をして座席数を172席にしたものです。
 
 ここまで長くなると主翼から前はエンジン音がほとんど聞こえなくなり快適な空の旅が楽しめます。
特に離陸上昇中は静かです。
 速度がおおきくなると空気抵抗の摩擦音が気になりますが、主翼にエンジンがついている機体に比べると比べ物になりません。
 しかし後部のエンジンの真横は音と振動が大きいのが難点です。
 
 ストレッチタイプのもう一つの利点はワイドボデイ機に比べると窓側座席の確率が高いことです。
写真を撮りたい人には最適ですが今年度でJ社から引退するのは残念です。
 
 なお手前の黒黄チェッカーのワーゲンのバンはフォロミーカーでランプタクシーウェイを先導してスポット迄行きマーシャラーが降りて誘導をしていました。
 ドイツ、東欧圏の空港で見かけました。成田見たいに複雑な誘導路が有る所では有効な手段と思うのですがね。
 
 
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 1982年のデュッセルドルフその2はLTUのL-1011です。
 
 この頃のLTUはL-1011でドイツからリゾート地へチャーター便をL-1011で飛ばしていました。
 
 今はエアベルリンへ吸収されてしまいましたが、何機かのA-330には尾翼にLTUの文字が入っているようです。
 
 L-1011は通常型と長距離タイプのー500も使われていました。
 
 空港でハンドリングを見ていたら手荷物はコンテナーを使わず前方貨物室へもベルトコンベアーを使用してバラ積みしていました。手荷物係員はさぞ大変だったでしょうね。
 
 コンテナーを使用しない理由はコンテナーの重さをけちる、コンテナーの購入費用をけちる、地上設備投資(ハイリフトローダー)をけちるなどが考えられます。
 その分付けが手荷物係員に廻るわけです。
 
 しかしベルトコンベアーはどこの空港にもあるので辺鄙なリゾート地へも飛んで行けたでしょう。
 
 現在はほとんどの空港がコンテナー扱いが標準になっていると思いますが。
 
 なおLTUのL-1011通常型はPSA発注のキャンセルされた3号機を購入したため、前脚後ろにカヌー型の出っ張りがついています。
 これはPSAが前方貨物室を客室仕様にした為ノーズギアーが出なかった時の乗客を保護するための緩衝材だそうです。
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 最近スキャンした昔の写真、1982年夏のドイツ訪問時に撮影した民間機編です。
 
 この時の民間機の撮影はデュッセルドルフとミュンヘンだけでした。
 
 この頃はまだテロの影響は無くヨーロッパ各国でも展望デッキが営業していました。
 
 デュッセルドルフはターミナルから滑走路に突き出したフィンガーデッキがあり、離陸、タキシングが撮りやすかったのを覚えています。今はテロの影響で残念ながら出入りできなくなってしまったようです。
 
 当時はまだ東西冷戦が続いていていわゆる東側諸国ではロシア(ソビエト)製の機体を使用していました。
 
 ブルガリアのバルカンエアーからはIL-18、TU-154が飛来していました。
 
 胴体の赤いラインは今は亡き東独のインターフルークに良く似ています。
 
 古い写真なので見苦しいのはご勘弁ください。
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