航空自衛隊では1979年より戦技競技会が開催されていました。
それ以前は競点射撃大会と呼ばれていて、射撃の成績を争うかたちを空対空の空戦で争う方式に改めたようです。
1979年は抽選で各飛行隊を識別する為に胴体に派手な色の帯を巻きました。
この頃は未だ飛行教導隊は存在せず、各飛行隊の総当りだったようです。
翌1980年は各飛行隊が工夫を凝らし、如何にして対戦相手から視認されないかの迷彩塗装の研究が行われ、我々マニアの眼を楽しませてくれました。
手元には1980年の絵しかないのでこちらから始めます。
マルヨン部門が三沢基地、エフヨン部門は千歳基地でした。
この年はマルヨンは201,206が解散していてマルヨンの参加は202,203,204,205,207の5飛行隊でした。
202飛行隊は予備機を含めて参加3機がすべて同じ塗装でした。
丁寧な塗り方の旧海軍機を彷彿させる濃い青みがかった濃緑色はマニアに好評でした。
それ以前は競点射撃大会と呼ばれていて、射撃の成績を争うかたちを空対空の空戦で争う方式に改めたようです。
1979年は抽選で各飛行隊を識別する為に胴体に派手な色の帯を巻きました。
この頃は未だ飛行教導隊は存在せず、各飛行隊の総当りだったようです。
翌1980年は各飛行隊が工夫を凝らし、如何にして対戦相手から視認されないかの迷彩塗装の研究が行われ、我々マニアの眼を楽しませてくれました。
手元には1980年の絵しかないのでこちらから始めます。
マルヨン部門が三沢基地、エフヨン部門は千歳基地でした。
この年はマルヨンは201,206が解散していてマルヨンの参加は202,203,204,205,207の5飛行隊でした。
202飛行隊は予備機を含めて参加3機がすべて同じ塗装でした。
丁寧な塗り方の旧海軍機を彷彿させる濃い青みがかった濃緑色はマニアに好評でした。
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