飛行老人の飛行機話

Yahooからの引越しに伴いタイトルを変更

2022年08月

 小牧で行われた1971年の国際航空宇宙ショーのネガが更に出て来て、こちらの方にデモフライト状況が判るのをスキャンした。
 午後からのフライトだったのでもろに逆光。

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 離陸してすぐにギアアップ、レフトターン。

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そのまま360度旋回、ターミナルビル側に行けば良かったと言っても後の祭り。

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 北へパスしてライトターンして、NO1エンジンを止めてローパス。

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 フラップはランディングポジションではないのでローパスかも、しかしこの後のコマには姿が無いのでこのまま着陸したかも。

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 朝ラジオを聞いていたら今日は何の日でYSー11をやっていた。今からちょうど60年前の1962年8月30日に名古屋空港で試作1号機が飛んだそうだ。私は未だ中学生だったのでニュースで知っただけだったが。
 それから8年後の名古屋航空宇宙ショーでこの機体がデモフライトを披露してくれた。得意の片発停止でのローパスなんかもね。

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 この頃は入間在住だったので空自のYSー11は撮り放題だったが、Cー46の方に魅力が有ったな。

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 1974年6月下旬、羽田空港へ行ったら東亜国内航空のYSー11が2機
VIPスポットに並んでいた。何事かなと待っていたらヨッシャヨッシャの角さんが乗り込んで行った。7月に第10回参議院選挙が行われたので地方へ選挙応援に出かけたのだろう。手前は予備機。

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 1974年7月1日、九州方面へは何回か行っていたが北海道は初上陸。
この頃マルヨンの201飛行隊が閉鎖されると聞き、基地広報へ連絡をしてOKを貰い千歳へ。
 中へ入ってガックリ、201のマルヨンは1機を除いて格納庫の中だった。結局お目当ては1機だけに終わってしまった、ついでなので203の方は転がりを頂いたがね。
 翌日は丘珠へ。当時は東亜国内航空のYSー11が丘珠から函館、帯広、釧路へ飛んでいたように記憶している。なお東亜国内航空は1974年に丘珠から撤退しているのでかろうじて間に合った事になる。エプロンから32への転がりを南側フェンスから、当時はかなり近かった。

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 上を飛ぶのは全日空のKH-4、ターミナルの南側に格納庫が有り、NHKの委託運航をしていた。今はどうなっているのだろうか。当時のターミナルビルは平屋建てで撮影はビルの両側のフェンスからと南側誘導路沿いのフェンスからだった。

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 ランウエイ32へのアプローチ。

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 白黒が続いたので今日は色付きを、1996年5月に開催された戦技競技会は小松基地。
この時の目玉はカブトのFー1、機首にシャークマウス、尾翼にはハチロク時代の2本の白渕の赤い帯を描いていた。この時は地元マニアの仲介だったと思うが競技開始前の日曜日に撮影会が有って基地広報班のお世話になった。ネガカラーをスキャンしたがコダクロームに比べると退色が激しい。
 一番後ろにいるのは知る人ぞ知る”ハカセ”だ。一人だけこちらを向いているのは何をしていたのだろうか、本人に聞いてみたいものだ。

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 描いた整備員の腕が良いのかFー1にもシャークマウスが良く似合う。

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 おまけは6スコの機種アップ、デザインは同じでタックネームが違っていた。8スコは変化無し。

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 今日は明け方豪雨だったが、そのうち晴れて来て湿度が上がり、猛暑に。
ハルサーは中止して大洗港へ。明日室谷氏が大洗でデモフライトを行うというので、もしかして岸壁の空き地にでも着陸しているのではないかと淡い期待を抱いて行って見たが...残念ながら姿は見えなかった。そうこうするうちに神野、今原氏とのトークショーが始まったが私的にはイマイチ。

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 そのうち空が暗くなり土砂降りの雨。

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友人のK氏から機体は百里にいるそうだとの情報が入り百里へ転進。エプロンの隅に止めてあった。

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