飛行老人の飛行機話

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2021年04月

 この時は最初は松山へ行くつもりは無かったのだが、2番目の選択肢で行く事になった。と言っても目的地ではなく単なるトランジットだったが、時間が有ったので現地で撮影した。
 当時の松山空港は典型的な地方空港で全日空が東京、大阪から1日に各4便程飛んでいた。TDAは福岡からだった様に思う。おっと、私が乗って来たのは名古屋からだった。
 何故松山へ行ったかと言えば、退役間近のF-27に乗るためだった。3月25日の海自小松島基地公開に行くのに大阪から名古屋へ行き、最初は南紀白浜へ行き、和歌山から徳島へフェリーで渡る予定だったが、間に合わなかったのか南紀白浜からの折り返しで行く松山便に乗ったという次第だった。かなり遠回りになってしまったが。

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 飛鳥と言えば今ではクルーズ船だが、飛行機マニアから言えばC-1をベースに製造されたSTOL実験機だろう。
と言っても飛んだのは1985年から1989年の間で岐阜をベースに飛んで航空ショーに展示の為に他の飛行場へ行くことも無かったので、見かけた人は少ないのでは無いだろうか。
 私は幸いにも飛び始めた翌年の1986年2月7日に岐阜へ行った際に飛んでいる姿を見る事が出来た。
実験機なのか航空機登録記号ではない無線局記号、JQ8501が胴体に書かれていた。

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 降りた後の転がり。

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 この年は列線が近かったのでこんな絵も撮れたが、最近は近づけなくなってしまった。

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 編隊飛行から帰って来たRFー4EJ、こちらはシャークマウス無し。

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 空自のRF-4も退役して早くも1年を過ぎてしまったが、15年前の2006年7月30日の航空祭ではシャークマウスを描いて元気に飛んでいた。
 オープニングフライトのパス。

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 ドラッグシュートを曳いてE-1に入って来た914号機。この場所は航空祭での人気撮影場所だったのだが一昨年は規制されて行けなくなってしまった。

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