2020年07月
L1011その9
JA8511、1981年10月3日、大阪の32Lを離陸、リフトオフ直前。

JA8512、1984年2月16日、大阪を32Lを離陸、戦闘機と違ってギアはアップされていない、昇降計がやっとポジティブクライムになったぐらいか。この辺でギアが上がりかかってくれると良い絵になるんだが。


JA8514、1975年8月2日、羽田のランウエイ22にアプローチ。導入当初はレジの下二桁が青字で機首に書いてあったが何時の間にかノーズギアドアに黒字で変更になった。新品でピッカピカ。

JA8515、1975年9月、那覇空港。今のターミナルビルができる前海洋博に備えて那覇港側にターミナルビルが移設された。この便は海洋博に連れてきた祖父が乗って羽田へ帰るところ。私は居残って翌日嘉手納へ。

JA8521、1984年2月16日、大阪の32Lにアプローチ、千里川堤防。

JA8522、L1011のA社最終号機、1982年12月14日、千歳のランウエイ36Rにアプローチ。冬の北海道は太陽が低く南西方向に沈むので光線状態は良くない、雪の反射も昼頃に比べると弱くなっている。


JA8512、1984年2月16日、大阪を32Lを離陸、戦闘機と違ってギアはアップされていない、昇降計がやっとポジティブクライムになったぐらいか。この辺でギアが上がりかかってくれると良い絵になるんだが。


JA8514、1975年8月2日、羽田のランウエイ22にアプローチ。導入当初はレジの下二桁が青字で機首に書いてあったが何時の間にかノーズギアドアに黒字で変更になった。新品でピッカピカ。

JA8515、1975年9月、那覇空港。今のターミナルビルができる前海洋博に備えて那覇港側にターミナルビルが移設された。この便は海洋博に連れてきた祖父が乗って羽田へ帰るところ。私は居残って翌日嘉手納へ。

JA8521、1984年2月16日、大阪の32Lにアプローチ、千里川堤防。

JA8522、L1011のA社最終号機、1982年12月14日、千歳のランウエイ36Rにアプローチ。冬の北海道は太陽が低く南西方向に沈むので光線状態は良くない、雪の反射も昼頃に比べると弱くなっている。

B-727その3
今日はストレッチタイプのB-727-200。
N546PS,1973年6月サンディエゴ。窓下の胴体のラインは黒、窓の上は赤茶色という地味な旧塗装。
日本でもA社がリースした際にこの塗装で来た事があるが、伊丹へ到着後塗装が変更されたので見るチャンスはかなり少なかったと思う。

N532PS、1977年3月、サンディエゴ、L1011購入の新塗装だったようだが肝心のL-1011は購入されず、その後サウスウエスト航空に合併された。

同じくN532PS、1977年11月、サンディエゴ。PSAの文字が白抜きになっていた。

N2815W,1977年11月、サンディエゴ。こちらも以前は茶色のラインとインディアンヘッドが描いてあったが、新塗装はシンプルでインパクトのある塗装になった。

N88703,1977年3月、サンディエゴ。今はユナイテッド航空と合併して社名は消えてしまったが塗装は未だ残っている。白い機体に金と赤の帯は青空に良く映える、コンチネンタル航空は新塗装よりも旧塗装のほうが良かったと思うのは私だけかな。

N546PS,1973年6月サンディエゴ。窓下の胴体のラインは黒、窓の上は赤茶色という地味な旧塗装。
日本でもA社がリースした際にこの塗装で来た事があるが、伊丹へ到着後塗装が変更されたので見るチャンスはかなり少なかったと思う。

N532PS、1977年3月、サンディエゴ、L1011購入の新塗装だったようだが肝心のL-1011は購入されず、その後サウスウエスト航空に合併された。

同じくN532PS、1977年11月、サンディエゴ。PSAの文字が白抜きになっていた。

N2815W,1977年11月、サンディエゴ。こちらも以前は茶色のラインとインディアンヘッドが描いてあったが、新塗装はシンプルでインパクトのある塗装になった。

N88703,1977年3月、サンディエゴ。今はユナイテッド航空と合併して社名は消えてしまったが塗装は未だ残っている。白い機体に金と赤の帯は青空に良く映える、コンチネンタル航空は新塗装よりも旧塗装のほうが良かったと思うのは私だけかな。

B-727その2
Bー727
久し振りに今日は何の日シリーズ。
私が本格的に写真を始めた1970年頃はB-727の全盛期だった。
JA8316、羽田空港。ランウエイ04沿いのNo3スポットからプッシュバックしたところかな。
当時の担当整備士は2人一組だった。当時のツナギは白、その後目立つオレンジ、空色に変わった。
被る帽子の色で資格が分かった、オレンジは社内資格、赤は国家資格、黒は管理職。機首にいるもう一人は
ランプコーディネーター。まさかこの時点でB-727に関係するとは夢にも思わなかった。

JA8318、この頃の羽田空港は沖合スポットもなくスッキリしていた。

ワールドエアウエイズ、レジは不詳、横田基地のランウエイ36へアプローチ。

エアリフト、こちらも横田基地、36へアプローチ。

N5055、サザンエアウエイズ同じく横田基地の36へ着陸するところ。3社共に横田をベースに東南アジアを行き来していたようだ。

私が本格的に写真を始めた1970年頃はB-727の全盛期だった。
JA8316、羽田空港。ランウエイ04沿いのNo3スポットからプッシュバックしたところかな。
当時の担当整備士は2人一組だった。当時のツナギは白、その後目立つオレンジ、空色に変わった。
被る帽子の色で資格が分かった、オレンジは社内資格、赤は国家資格、黒は管理職。機首にいるもう一人は
ランプコーディネーター。まさかこの時点でB-727に関係するとは夢にも思わなかった。

JA8318、この頃の羽田空港は沖合スポットもなくスッキリしていた。

ワールドエアウエイズ、レジは不詳、横田基地のランウエイ36へアプローチ。

エアリフト、こちらも横田基地、36へアプローチ。

N5055、サザンエアウエイズ同じく横田基地の36へ着陸するところ。3社共に横田をベースに東南アジアを行き来していたようだ。
