2020年06月
ワンイレブンその4(BAC)
1975年6月、何故か羽田空港のエプロンではなく誘導路に駐機していた濠空軍のBAC111、首相を乗せてきたようだ。
1977年、東回りでIATへ行った際にJFKでトランジット。その時撮ったアレゲニー航空のBAC111。
1978年10月、西海岸ツアーで寄ったLAX,南側の外来機置き場で見かけたプライベートのBAC-111、元アメリカンで飛んでいたらしい。
1976年9月、LHRで撮ったタロム、ルーマニア航空のBAC-111。初の英国では見るものすべてが新鮮だった。
翌1977年7月、ハットンクロスで撮ったLARのBAC-111。ルーマニアのチャーター会社で機体は元タロムだった。この会社は1975年から1997年まで有ったらしいが見かけたのはこの時だけだった。
ワンイレブンその3(BAC)
ワンイレブンその2
IATの開催は土、日曜日、お帰りは月曜日になる。
グリーンナムコモンは基地の真ん中が膨らんだ形をしているので外からは東西のエンドで着陸しか撮れない。
アライバルは着陸側で問題ないが離陸はエンドではかなり高い。1979年のIATの翌日、どこか撮れそうな所は無いかと基地を一回り、南側にエマーゲートが有り、地元住民がフェンスの破れ目から中へ入っていくのを発見、付いて行くとタクシーウエイとランウエイが見渡せる場所に着いた、これはラッキーと早速撮影開始。結構長い時間居たがセキュリティは廻って来なかった。ランウエイエンドから3000ftぐらいだったと思うが流石マルヨンは浮かなかったが他の機体は良い感じで撮れた。
離陸するアッパーヘイホードのF-111。


グリーンナムコモンは基地の真ん中が膨らんだ形をしているので外からは東西のエンドで着陸しか撮れない。
アライバルは着陸側で問題ないが離陸はエンドではかなり高い。1979年のIATの翌日、どこか撮れそうな所は無いかと基地を一回り、南側にエマーゲートが有り、地元住民がフェンスの破れ目から中へ入っていくのを発見、付いて行くとタクシーウエイとランウエイが見渡せる場所に着いた、これはラッキーと早速撮影開始。結構長い時間居たがセキュリティは廻って来なかった。ランウエイエンドから3000ftぐらいだったと思うが流石マルヨンは浮かなかったが他の機体は良い感じで撮れた。
離陸するアッパーヘイホードのF-111。


ワンイレブン
ワンイレブンといえば軍民両方に該当する機体があったのを覚えている人も少なくなってきたのではないだろうか。
今日のワンイレブンは軍用機、GDのF-111。
可変翼機の戦闘爆撃機として開発されたが、いろいろとてこずったようで、海軍型も計画されたがこちらは不採用になってしまった。
空軍でも戦闘機よりは爆撃機としての機能が優先され結局少数で終わってしまった。本国ではキャノン、NATOの前線展開部隊として英国のアッパーヘイホード、レイクンヒースに配備されただけで、アジアには配備されなかった。という事で日本では見る機会は無く、唯一演習で韓国へ展開した際に嘉手納へ不時着したのが最初で最後だった。
日本では見られなくても英国では二つの基地で見られたのでポピュラーな存在だった。核攻撃が可能な機体として正面の西独ではなく後方の英国に配備したようだ。
軍用機マニアとしては是非とも撮りたい機体だったので1977年に続き1979年のIATが終わった後にレークンヒースを訪れた。この時は他のマニアを見かけなかったような記憶がある。





今日のワンイレブンは軍用機、GDのF-111。
可変翼機の戦闘爆撃機として開発されたが、いろいろとてこずったようで、海軍型も計画されたがこちらは不採用になってしまった。
空軍でも戦闘機よりは爆撃機としての機能が優先され結局少数で終わってしまった。本国ではキャノン、NATOの前線展開部隊として英国のアッパーヘイホード、レイクンヒースに配備されただけで、アジアには配備されなかった。という事で日本では見る機会は無く、唯一演習で韓国へ展開した際に嘉手納へ不時着したのが最初で最後だった。
日本では見られなくても英国では二つの基地で見られたのでポピュラーな存在だった。核攻撃が可能な機体として正面の西独ではなく後方の英国に配備したようだ。
軍用機マニアとしては是非とも撮りたい機体だったので1977年に続き1979年のIATが終わった後にレークンヒースを訪れた。この時は他のマニアを見かけなかったような記憶がある。




