飛行老人の飛行機話

Yahooからの引越しに伴いタイトルを変更

2019年02月

 昨日は終焉の近づいたオジロファントムを見に百里へ。
中を覗くとなんと白黒合わせて9機のファントムがエプロンに、格納庫の大掃除でもしたらしい。期待したもののやはり飛んだのは2機だけ、それでも北上がりで何時もより捻りを見せてくれたのは○

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 飛んだのはファーストだけだったがファースト着陸後に高速タクシー。
セカンドでもファントムは飛ばなかったけど高速タクシーを延べ4回も実施した。
ウエストで転がってくれたら嬉しかったけどね。


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 オマケは白オジロを背景にT-4の着陸。

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 昨年12月は百里で誕生(マルヨンの206sqからの改編)だったのだが、何故か今年の3月に延期され記念塗装も式典に合わせて先週辺りから飛び始めたという話しを聞き、百里も機になるが元地元の部隊だったので天気を見て出かけてきた。
 26日が予報では晴れだったので25日に前進待機、朝中を覗くとお目当ての機体が並んでいて一安心。しかし飛んだのは午後だった。上がりはハイレートらしいとの事で東側エンドまで移動したが、予想が外れて早めの引き起こしでガックリ。

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 着陸は捻りを狙って西側エンドの先でスタンバイしたが、T-4は小回りで良い感じだったものの肝心の梅はダウンウインドをエクステンドされてしまいこちらもガックリ。菜の花を入れて撮れたのが慰めだった。

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 しばらく中断していたIAT1983、ブリテッシュファントム編。
このときは過渡期だったのか通常迷彩、グレイ塗装でマーキングは昔のまま、ロービジ塗装で国籍マークや部隊マークも小型化したもの、ショートノーズでは似合わないファントムのシャークと色々楽しめた。

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 今日は所要で高速を走行、左側を走っていたら左後輪付近で何か鈍い音、タイヤが石でも跳ねたのかなと思っていたらバラバラと音がしだしたのでフラットタイヤと認識、スピードダウンしたが路側帯に停車して事故が起きている思い出して走行を続行、2km程行ってパーキングエリアへ。タイヤを見たらサイドが2箇所程破れていた。即タイヤチェンジして目的地へ。
 フラットして即停車していれば修理可能だったようだが、貰い事故で怪我をするよりはましな判断だったと思っている。
 という事で今日の画像は今までのカエルの残りから。
1月8日。

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1月21日。

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1月30日。

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 1976年12月7日に浜松へ撮影に出かけた際に基地内にBIのF-86Fが通常のオレンジ以外にタンクを装着した姿を発見したが、飛びそうになかったのでダメ元で
基地広報班に連絡を入れると以外にもOKの返事を貰い、列線を撮影出来た。
 当時は今と違って規制も緩かったのだろうが担当者に感謝するのみである。この時初めて聞いたのだが那覇の航空祭に出かける海越えの為の増加タンクだった。
 従ってチャンスは那覇航空祭の前後、一年間に2回だけという事になる。当時はシフト勤務のサラリーマン、この後一度だけ新田原で待ち伏せして撮っただけだった。

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