飛行老人の飛行機話

Yahooからの引越しに伴いタイトルを変更

2018年07月

 今日から新規航空会社が乗り入れると言うので午後から百里へ。
韓国のイースタージェット、ソウル便が東日本震災によりアシアナ航空が止めた後、隙間を狙って開設したような感じです。定刻16時10分より15分程遅れて21Rに到着。出発も20分程の遅れ、捻りを期待したけど遅めの捻り。

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 この後帰りかけたらオジロがナイトに出発、久しぶりに夕空をバックに撮影。

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 今日は何の日の続き、1973年に始めて行った米国、2回目は1977年に単独行動、色々あったけど無事に帰国、往復は今は無きPAAだった記憶が。
 1973年7月、サンディエゴからロス経由でオンタリオ空港へ、スポットにはイースタン航空のB727がいた。この時は空禅一如さんと一緒にチノまで行ったがたいした収穫は無かった。反対側のANGのエプロンにはF102の列線が見えたので往復1時間ほど歩いたのを思い出す。

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 1977年、初の単独西海岸ツアーに、レンタカーを借りたが事前に沖縄で右側通行の練習をしてから出発、アリゾナのユマまで往復した。
 ロスでのUA新塗装のB727。

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 サンデイゴのAAのB727。

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 同じくPSAのB727、A社では何機かのB727をリースしていた、Nナンバーで最後2桁はPS。

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 同じくコンチネンタルのB727-200、コンチは今のUA塗装よりも断然こちらの方が似合っている。

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 昨日のBー727のついでに取り込んであった同じ日の羽田空港。
当時のローカル線の主役だったF-27、エンジン始動には電源車が必要だった。
時には蓄電池を積んだバッテリーカーも使用された、電源は直流。

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 この頃から姿を見せ始めたF-27のモヒカン塗装。

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 J社のB-727、こちらも鶴丸の新塗装機が増えていた。

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 DC-8-62、こちらは国際線エリア、奥に新旧両方の塗装のB-727が見える。この頃はフィンガーデッキと呼ばれる送迎兼見物エリアがエプロン沿いに有り飛行機マニアには嬉しい存在だった、時代は移り変わりテロ対策の名目で撮影環境は非常に悪くなってしまったのが残念だ。

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 このところ体調不良により編集作業が進んでいないので過去に取り込んだ画像が今日の日付にピッタリのB-727から。
 1970年頃はどっぷりと横田にはまっていたので民間機専門の羽田空港などは見向きもしなかったが何故かこの日は羽田空港へ。ポジのK社は高かったのでS社のを使用したがやはり安いだけあって年月が経つと色抜けが激しいがF社よりはましだった。F社のは見るも無残な真茶色になってしまった。その後何十年か経ったら技術が逆転したのは信じられないくらいだね。
 A社のB727-100、旧羽田空港のBランに面した1~5番スポットからプッシュバックしてランプアウト前の状態。この後A社は色々塗装が変更になったけどヤキトリマークの付いたこの頃の塗装が私の好み。モヒカン塗装はB727-200導入時に変更になったと記憶している。そういえばB767のレトロ塗装が出現した時、何故この塗装にしなかったのかはなはだ疑問だ。
 そういえば最初にB727を見たのは横田基地でのワールド航空かサウザン航空だった。A社のB727も横田へILSの訓練に来ていたのを見かけたことがあった。
 この頃はまさかA社とその後縁があるとは夢にも思わなかった。

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 このところ熱中症のせいか?少々体調が宜しくない。
と言う事で新規画像は編集できず、在庫から。
 21L降りの青いキツツキ、池で撮影。

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 コール(XX64)からすると外来らしきUH-60J、西の方から来たのか?

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 春秋航空の広告ラッピング、私が良くお世話になっているサイト。

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