飛行老人の飛行機話

Yahooからの引越しに伴いタイトルを変更

2018年06月

 今週は梅雨明けの沖縄へ。
月曜日の午後と金曜日の午前は那覇で空自のファイターを撮るつもりだったがどちらの時間もフライト無しでガックリ。
 嘉手納でもナイトの週とかで午前はフライト無しとこちらも期待外れ。
しからば夕日を背景にと離陸を待っていたら意外と日の落ちるのが速く離陸する頃には太陽は水平線の彼方へ落ちて行った。

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 ちょっと間が空いてしまったけど1970年9月の入間の続きを。

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 総隊のサンサンにはECMポッドらしきものを装着。

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 小松の弟4飛行隊のサンサンを撮っていたら2人のpさんがこちらを向いて何やらボソボソお話をしているような、不審者と間違われたのかな、当時は内部で飛行機の写真を撮る人はほとんど居なかったような、後で知ったが何人かいたようです。

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 オマケはハチロク。

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 前記事の約1年ほど前の1970年9月、朝のエプロンチェックに行くと☆マークの
ハークが居てビックリ。横田では見慣れていたHC-130だけど入間へは初来?
 何で来たのかは知らなかったがさっそく独り占めでウハウハ。

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 午後に行ってみると、

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 オマケは同じ頃の横田、フェンス越しに撮ってもレンズ直径が小さかったのでほとんどケラレが無く、また脚立使用は少数派だった。

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 今日はその他の外来。
まずは陸自のUH-1B、五つ星ならぬ五つ桜付き、当時は増原防衛庁長官だったような。

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 予備機か随行機。

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 陸自岩沼分校のLM-1、BOPS隣にあった気象観測塔から。手前には静浜のT-34A。

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 YS-11ついでに当時の外来エプロン、BOPS前、米軍時代の名残で芝生と石垣があったけど今はどうなっているのやら。
 F-86は八戸の3SQ、T-33は百里時代の207SQ。

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 別の日のT-33の外来列線。当時入間では飛行隊長会議とかが行われていたらしく全国から各飛行隊のT-33やF-86が飛来エプロンに10機ぐらい並んだ事もあった。マニアの私は独り占めを楽しんだものだ。(笑)

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