飛行老人の飛行機話

Yahooからの引越しに伴いタイトルを変更

2015年12月

 今年も残すところ4時間ほどになってしまいました。
最後に今年の最後に行った航空祭、那覇からです。
機動飛行はてっきり築城から飛来した特別塗装のペアでやると期待していたのですがふたを開けてみればガッカリでした。しかし、民間との共用空港でかなりトラフィックが多い中それなりに見せてくれたのでよしとしましょう。

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 エプロンが狭い為観客席とタクシーウエイの間に展示機を並べて撮影が厳しかったですが来年は工事も完了してエプロンも広くなり展示も工夫してくれるでしょうね、期待したいです。
 新田原航空祭は結局ちょっとだけで終わってしまいましたが、機会があればまた紹介したいと思います。
 家庭の事情により行けなかった南国へ新年早々出かけますので乞うご期待。
それでは皆さん良いお年を。

 また1980年に戻ります。
35年前の12月19日の嘉手納、この日はMC-130E ”コンバット タロン1”が天気が悪い中アプローチ訓練をしていました。

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 この機体は天気が悪いと写り映えがしません。ポジで撮っても天気が悪いと白黒写真と変わりませんね。マニア間では通称”ドブ”と呼ばれた塗装、ドブネズミを連想させる灰色がかった暗い緑色と黒の迷彩塗装、夜間の低視認性を考慮したと思われます。
 ノーズに付いた俗称”ヒゲ”、ヨークは孤立した味方を低空で飛行しながら回収する
装置ですが、この機体にはプロペラをガードするワイヤーが張られていないので実際は使用されていなかったのでしょうね。また胴体後部から尾翼にかけてHF用のアンテナ線が張られているので夜間電子偵察に使用されていたのかも知れません。
 現在の嘉手納には夕方になると動き出す後継機のMC-130H/Nが駐留しています。

 13日の那覇公開では午後から瀬長島へ移動、午後の機動飛行を撮りました。
演技はかなり遠くて絵になりませんでしたが、着陸では1機目はショートカットして来て頭の上、通り過ぎて何とか見られる姿に。

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2機目は良い感じでした。

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 前回紹介したのは1986年12月、今回出てきたのは1980年1月21日の那覇。
この時のP-2Jの尾翼には”5”ではなく”ナ”の文字が書かれていました。
たしかこれは第五航空隊の前身、那覇航空隊の”ナ”ではなかったかと記憶しています。

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 帰りの機内から撮影、現在のP-3の駐機位置とは場所が違って現在204飛行隊の駐機場のようです。最後の画像の右側の道路は正門からの道路です。

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 1986年1月、嘉手納の北側のエンド付近にいたら東側から飛んで来た陸自のKVー107が嘉手納基地近くに下りていくのが見えたので見当をつけて車で向かうと東南植物園方面へ曲がった先に着陸しているのが見えました。陸上自衛隊白河分屯地の看板がでていました。
 陸自関係の連絡飛行かと思ったら中から民間人が降りてきました。
どうやら急患輸送だったようです、近くのコザ(沖縄市)の病院へ運んできたのでしょうね。
 嘉手納から2~3回ここへヘリが降りるのを見かけましたが撮影出来たのはこの時だけでした。

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