飛行老人の飛行機話

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2015年01月

1984年2月26日の関東地方は大雪でした。
翌日はピーカンの青空、途中雪道に不安はあったものの百里へ雪の反射を狙いに出かけました。
なんということでしょう、今のように情報がない時代、胴体に薄緑色のペイントをした
ファントムが転がって来たではありませんか。
最初は何がなんだか判りませんでしたが、機首付近を見ると、ミグ21のノーズの
シルエットでした。
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転がりを撮って着陸へ急ぎましたが、雪晴れ特有の蒸発した水分が薄雲を作り出し、雪の反射はあったもののイマイチの結果でした。
下面はミグ21のシルエット、上面はどうなっていたのでしょうか、気になります。
 
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このミグもどきには4月に百里を訪問した際にも飛んでくれました。
エアインテークから後ろが塗装されていないのは何か理由があるのでしょうが中途半端な感じがします。
 
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この機体は新田原へ301飛行隊が移動後もしばらくはこの塗装で飛んでいたようですね。

今日はソロの演技、手持ちのポジには見当たらなかったのでダブルソロは無かった様です。
Fー1、Tー2独特のスポイラーによる傾きのコントロール、スポイラーが立つと透けて向こう側に青空が見えます。
 
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当時の離陸は3機編隊X2。
二つ目は第一編隊に比べると後方から走るので同じ場所で撮るとちょっと高めです。
どうやら並べる順番が逆になったようですね。
 
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離陸後は4機と2機に分かれての演技、4機のダイアモンド編隊で会場にお腹を見せるパスは順光側の滑走路の南側は順光でした。旋回半径が大きいので背中もあまり見えないのが残念です。
 
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ブルーインパルスといっても30年前の1984年11月25日、新田原基地航空祭では2代目、使用機種はT-2でした。
今のTー4とは違って超音速機、アフターバーナーを使っての演技は鋭さがありましたが、旋回半径が大きいのが難点でしたね。視界から消えて戻ってくるまでかなり時間を要しました。
また塗装の選定ミスで晴天の場合には機体上面、側面が青空に溶け込んでしまうのも良くなかったですね。
ハチロクの塗装を継承して白を基調にすれば良かったと思っています。
バーナーオンの時はスモークを出さなかったほうが中途半端なしっぽを見せずに済んで良かった気がします。
 
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おまけは、今日自宅付近にドクターヘリが飛来、3回ほど旋回して戻っていきました、降りなかったところを見ると何に来たのでしょうか。
 
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昨年12月の那覇航空祭は204飛行隊50周年という事で記念塗装機で賑わいました。
1984年11月25日の新田原航空祭では204飛行隊20周年記念塗装は残念ながらチップタンクだけの塗装でした。どうせなら戦競塗装機では無く銀の機体の方が良かったですね。
なにやら記念式典当日には一部のマニアがプロデュースした記念ワッペンを付けた
機体が転がったとか、セコイことをせずに一般公開迄残して欲しかったですね。
 
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航空祭ではチップタンクを外したクリーンな機体が機動飛行を見せてくれました。
マルヨンでは最初で最後だったような。
 
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