飛行老人の飛行機話

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2014年10月

今日は航空観閲式本番、天気予報は曇りのち時々雨、百里基地のTAFでは南風で
青空が半分位見えるとの事。とりあえず出かけました。
航過飛行時は曇り空、その後青空もちらほら見えて来ました。
午後のデモフライトでは青空も出て来ました。
ギフからはXCー2がチェイスのCー1、001とフライパス。
 
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午後のVIPお帰り、ピューマはコールサインからするとトップVIPは乗って居ない様でした、前を向いて座っている方は影武者かな。
 
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話題のオスプレイはエンドから離陸、結構低い上がりでした。ローパスをしてくれましたがかなり高かったです。
 
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ブルーはウエストバックをしてくれましたが、足並みが揃っていません、演技以外でもちゃんと揃えて欲しいですね。
 
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Fー2の上がりはちょうど日没時。
 
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Eー2Cは夕焼け空を上がって行きました。
 
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今日のYSー11はミッドパシフィックへ売却されたN107MP。
1985年3月24日、全日空整備で売却整備完了時。
この機体はJA8661として全日空へ引き渡された後、1977年4月にフィリピンへ売却
され、その後はミッドパシフィックへ売却。
整備の為に大阪国際空港に隣接の前ニック整備に飛来して整備作業を実施、1985年4月26日に再度のご奉公に米国に出発しました。
撮影したのは全日空整備の敷地内に植樹され撮影出来無くなったので電柱によじ登って撮った記憶があります。
 
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探し物をしていたら今から41年前の那覇で撮ったネガが見つかり、目的の物もあったのでついでにスキャンしました。
1973年頃は民間機ターミナルは国際線ターミナルの北、LCCエプロンへの曲がり角付近で米軍基地に間借り状態でした。
ターミナルの南側はフェンスで仕切られていて、米軍基地のエプロンは外来機駐機場になっていました。
当日の状況ははっきり覚えていませんが、昼頃の便で到着後嘉手納へ行く前に様子を見るので覗いたらNFの機体がゴロゴロしていたようです。
動きがあったのでしばらく待っていたら続々とエンジンスタートしてランウエイ18へ転がったようです。
Aー6Eは3機居てVA115の機体だったようですが、3機共ノーマークでした。
 
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RFー8Gは1機だけでした。
 
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Cー1Aはトリプルナッツ、空母名MIDWAYは色分けの花文字でかいてありました。
エンジンカウルにも書いてありましたがこの字体では判読できません。
 
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SHー3Gは3機上がりましたが、1機は見ただけでした。
 
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JA8782は1972年2月15日、全日空へリースされました。
その後1978年7月下旬にリースバックの為全日空整備で返却整備が行われ、出て来た時には尾翼に海保のマークと胴体は塗装前の下地のみ黄色い下塗り塗装という中途半端な塗装で出て来ました。
この塗装で飛んだのは8月14日のテストフライトと8月25日の名古屋へのフェリーフライトだけというチャンスは二度しか無かったようです。
当時の伊丹では常連マニアはごく少なかったので撮影出来た人も限られたことでしょう、中途半端な塗装なので私はあまり好きではありませんが、記録の一旦として紹介します。
 
1978年2月伊丹、千里川32Lエンド。
 
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1978年8月14日、伊丹千里川32Lエンド。
 
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1970年2月15日の入間基地は休日でフライトは無かったはずですが、飛行場地区からはロールスロイスダートの金属音が繰り返し聞こえて来ました。
暇を持て余していた私は、早速カメラを担いでチャリンコで飛行場へ。
そこでタッチアンドゴーを繰り返していたのは日の丸マークのYSー11では無く、
全日空のモヒカンブルーのYSー11でした。
最近調べたらこのJA8671は2月2日にデリバリーされたばかり、導入初期でもないので単なるパイロットの訓練飛行だったようです。
 
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この頃は横田基地でもBー727のタッチアンドゴー訓練を見かけました。
又入間基地は横田基地が近いせいか星マークのTー33やTー39がよくタッチアンドゴーに来ていました。

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