飛行老人の飛行機話

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2014年05月

1976年は米国建国100周年、これを記念して海軍、海兵隊では派手な塗装が見られました。
 
1977年2月25日に訪れたポイントマグーではVAー305のAー7に未だ塗装が残っていました。
 
この機体はラダー部と主脚カバーに "SPIRIT OF 76" の文字が入っているだけでした。
 
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別の機体はかなりショートカットでアプローチしてきました。
 
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1985年3月7日の岐阜では珍しい外来機が飛来しました。
 
USー1は新明和甲南工場、神戸市で制作され、当然IRANもそちらで行われるので、配備された岩国及び厚木
 
基地以外では滅多に見るチャンスは有りませんね。
 
この日は岩国からの海自関係者の輸送の為の平井だったと思われ、着陸してしばらくすると上がってゆきました。
 
後継機のUSー2が揃ってきたのでUSー1の退役も近いと思われます。
 
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現在企画物のTー2プロジェクトに参加しているが、総生産96機ということもあり、なかなか進んでいません。
 
主催者もかなりの長丁場になりそうなので難儀しているようですね。
 
さて今日はそちらへの紹介漏れから。
 
102号機はてっきり岐阜の実空所属だとばかり思っていましたが、松島で臨時訓練部隊ができてしばらくの閒
 
派遣されていた様で今回改めて認識しました。塗装は尾翼のみ白い4が描いてあり、胴体はジュラ地のままでした。
 
1976年7月31日、松島航空祭。
 
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胴体をグレイに塗った118号機の列線、同じく1976年7月31日。
 
今ではFー4以外は外部電源、ニューマチックを使用しないので地上の撮影はスッキリするが、面白みは無く
 
なりました。35mmでこんな感じ、かなり近くまで近寄れました。
 
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1976年10月3日の三沢航空祭に展示された120号機、2つサクラのプレート、4空団司令でも来たのでしょう
 
ね。
 
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実空ではサンサンをかなり長い閒使用してきましたが、チェイスや連絡用に使用したのが多かったですね。
 
そんな中に発煙装置を付けたサンサンがいました。
 
1976年11月3日の航空祭ではスモークを曳いて飛びました。
 
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1985年3月7日に撮影したサンサン、ゴミを掃除していて排気口の上の方にゴミらしきモノがあったので削除
 
しようとよく見たらスモーク用のダクトでした、危ない危ない。機体番号は違うようです。
 
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このところ岐阜の写真を整理しているが、記録はつけていなかったのでスライドのマウントに印字した日付が頼り
 
です。
 
そんな中に撮ったことをすっかり忘れていた画像が出て来ました。
 
当時は関西在住、月に1~2回のペースで岐阜、小牧へ通っていました。
 
岐阜の魅力は各種装備品のテストが撮れる事でしたが、なかなか当たらなかったほうが多かったようです。
 
1985年3月7日に行った時はビンゴ、ファントムの301が対艦ミサイル、ASMー1と500ポンド爆弾のダミーを
 
付けて飛んでいました。
 
残念ながらファントムの対艦、対地装備はこの後は未だ遭遇していません。
 
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