飛行老人の飛行機話

Yahooからの引越しに伴いタイトルを変更

2014年03月

今日でANAのB747も引退、テレビのニュースでもやっていましたね。
 
今日はSRの第二弾、1988年頃にはモヒカン塗装から今の塗装に変更されました。
 
JA8133、撮影日は不明、千歳
 
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8134、1987年3月、千歳36R
 
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8138、伊丹カーブ。
 
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8139、1987年12月22日、今はなきRWY33Rから離陸後右旋回で上昇。
 
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入道雲をバックに転がるJA8146.
 
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千歳ランウエイ18Lに着陸する8157とホールドする8158
 
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国際線機材のB747LR、8182は伊丹ー成田の連絡便。
 
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ANAでは今回引退するB747ー400Dを含めて4種類のB747を運用してきたが、最初に運用を始めたのは
 
B747SR、日本国内線用に離着陸回数の増加に長距離用の機体の着陸装置を強化されたものでした。
 
JALは既に国際線用にJA8101から登録されており、SRはJA8117から始まっていました。
 
私が初めてJA8133を撮影したのは1979年1月2日、デリバリーで伊丹へ到着した日でした。
 
通関中の為にL1ドアーには関係者以外立ち入り禁止の張り紙が有りました。
 
最初にデリバリーされたのはJA8134で羽田へフェリーされてきたように記憶しています。
 
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同じJA8133、1983年3月の千歳の18L
 
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1981年9月、千歳ランウエイ18Lに着陸するJA8139
 
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1981年9月、小松ランウエイ24を離陸するJA8146、今は入れなくなった松林から。
 
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1987年12月22日、伊丹32Lより離陸して、伊丹カーブでレフトターンするJA8147
 
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1985年5月11日、伊丹32Lへ転がるJA8157
 
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1987年3月10日、千歳36Rに乗ったJA8159、ANA、SRの最終号機。
 
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昨日はJW202で帰って来ました。
 
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現地出発は午前10時35分、定刻10分前にはドアクローズしたもののすぐには動き出さず、若干ディレイ。
 
この時期低気圧の去ったあとはスッキリ晴れず、モヤが、PM2.5のせいでしょうね。
 
LCCの機内には勿論余分な装備はなく、現在地はビジュアルで確認する以外はありません。
 
右側の陸地はどうやら鳥取県、このあたりまでは晴天域だったのが徐々に雲が増えてきました。
 
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行きは陸地に近い日本海を飛んだのですが、帰りはかなり沖合を飛んでいました。
 
それでも陸地が見えてくる頃には晴れ間がでていました。
 
近づくと見慣れた飛行場が見えて来ました、小松空港です。雲がかぶった山は白山かな?
 
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この後は雲がびっしりとかかって、現在地の特定は不能、成田はまだ雨が降っていました。

昨年末宣伝にのせられて国内のLCCのチケットをポチッとしてしまったので西の方へ出かけて来ました。
 
滑走路が3本ある飛行場です。
 
当初の天気予報では晴れマークが並んでいたのですが、結果はあちらに着いた頃までは晴天、撮影を始めた
 
頃から曇ってきてしかも南よりの風。
 
次の日はさらに条件が悪く、期待した南上がりも、モヤっていて雲の中へズボッという状態、まあせっかく来たの
 
だからと山の上へ移動、めぼしいものはA340のF1塗装だけというわびしいもので御終い。
 
昨日は北風、しかし天候の回復は午後から、しかも狙っていた北からの到着便は普通は北側の滑走路に降ろ
 
すのにこの日だけは南側へ降ろすという不可解な運用をされてガックリ。
 
ハワイアンは北へ降ろしたので片目だけは明きました。
 
日没頃に到着予定があった北の国からの貨物便は諦めて引き上げました。
 
やはり飛行機撮影にLCCの誘いにのらないのが賢明のようです。
 
くたびれぞんの骨折り儲けとは良く言ったものです。
 
なおおまけは成田到着時のスポットコントラーの未熟さにイライラ、とりあえずHPにクレームを送信したけど
 
なしのつぶてでしょうね。

春といえば桜。
 
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夏は入道雲、最近はあまりお目にかかっていません。
 
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秋はなかなか季節感がでませんが、ススキ。
 
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冬といえば雪景色、成田では雪の反射。
 
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