飛行老人の飛行機話

Yahooからの引越しに伴いタイトルを変更

2013年03月

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今日スキャンした中に1976年7月31日、基地公開の時の画像がありました。

この頃は戦闘機課程の超音速練習機、Tー2の部隊配備が松島で始まりました。

松島にはFー86F、Tー33A、Tー2の3機種が揃っていました。

インパルスのハチロクは旧アラートハンガー前、奇しくも現在のインパルスのエプロン前の誘導路に

並んでいましたね。

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1978年10月の嘉手納ではSRー71も撮ることが出来ました。

SRー71の格納庫は一昨日の嘉手納の画像の中央部にあり、58号線から見えました。

飛ばない時は後ろの扉が閉まっていて、飛ぶときは開いています。それは格納庫内でエンジンスタート

してそのまま出てゆくからですね。

当時の定宿は嘉手納町のホテル大蔵、屋上に上がるとSRの格納庫が見えました。

25日の夜、音がするので屋上へ上がってみると扉が空いていてSRー71がエンジンを回していまし

た。

カメラに標準レンズを付けて屋上へ戻り手すりの上で離陸に合わせてバルブで撮影したらアフターバー

ナーが写っていましたが、残念ながらピントがあっていません。

しかし雰囲気は判るでしょう、離陸して飛行場内で上昇旋回するのでランウエイエンドでの撮影はほとん

ど無理でしたね。タッチアンドゴーを狙って背中を撮ったマニアもいましたが、そこまで冒険は出来ませ

んでしたね。今と違って何が来るのか判らなかったのでね。

翌、26日は昼間に飛んでくれて05で降りてDの転がりを今では撮れないNAVYゲートで撮ることが

出来ました。ドラッグは滑走路上で捨ててしまうのでドラッグを曳いた転がりが撮れなかったのは残念

です。

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昨日の続きです。目ざとい空禅一如さんにバラされましたがKCー135の堰体に台風避難で飛来した

Bー52が並んでいます。

碓か前日にテレビか新聞のニュースで台風避難できたことを知り、2~3日滞在するのでうまい具合に

休みが当たったので嘉手納へ行きました。

24日には上がらず25日に離陸する姿を撮ることが出来ました。

グアムまでの燃料なのでかなり高い上がりでした。

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今日は天気予報では午後から雨でしたが、実際には9時頃から降り始めてしまい、外の作業は中止、昔の

ポジをスキャンしました。

そんな中から1978年10月24日の伊丹から那覇への機内から撮影したいくつかを紹介します。

現在の那覇36へのアプローチは沖縄本島の東側を南下して南の海上を回り込んでILSにインターセプ

トしていますが、この時は北部の西海岸を南下して残波岬辺りから左旋回、嘉手納基地の南、砂辺から

南東に本島上空を横切り東側から回り込んで那覇の36にアプローチするコースをとっていました。

北から行くと右側に伊江島が見え、左側に目を移すと嘉手納基地と手前に読谷飛行場が見えました。

嘉手納基地南をクロスする時は嘉手納へのトラフィックを考慮すると3000フィートぐらいと思われま

す。那覇の36を離陸する時は1000フィートの制限があるのはご存知の通りですね。

嘉手納通過後はハンビー飛行場、今はハンビータウンになって昔の面影はありませんね。

この後普天間の画像が見当たらないのは雲がかかって見えなかったのでしょう。

本島クロス後、右旋回、遠くに那覇空港が見えました。

読谷飛行場も今では返還されて飛行場の機能は無くなりました。米軍時代に駐留していた部隊がいたか

気になるところです。

なおこの時のお目当てはいつもはKCー135が主になっている駐機場にいる外来機でした。

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今日は晴天、南東の風の予報だったので桜の開花状況もきになり百里へ午後出かけました。

ランウエイは期待通り21でしたが、上空は予報外れ、薄雲が広がり、夕方には薄日状態になってしまい

ました。

北門の向かい側には5分以上咲いた木もありましたが、他はまだまだ、満開は来週と思われます。

梅組のセカンド終了後、中を見るとキツツキグループは飛ぶ気配が無いので、玉里運動公園のサンサンの

桜の状況偵察に行きました。

こちらの桜も咲き始めといったところ、撮影しようとバッグを見たらショートズームが見当たらない!

しまった、北門に忘れたようで慌てて引き返し、やれやれ無事回収しました。

この後オジロのサードは2機編隊離陸が2つ、梅組はしまい始めていたのでサードは無し。

空き時間を利用して再度玉里運動公園へ。

光線が弱くなりましたがとりあえず撮影、しかし満開時に再度リベンジです。

北門近くに戻って梅組の帰り待ち、降りてきた時はかなり光線が弱くなっていました。

ここで千葉からきたという高校生の2人組に遭遇、空港までのバスを利用して着陸地点まで歩いてきたと

か。若いうちはいろいろ苦労して立派なマニアになって欲しいものです。

私も若い頃は百里はバイクでしたが厚木等はランウエイチェンジの時は反対側までよく歩いたものです。

おまけは移動途中に見かけた雉子の雄、薮の中なので近づくと逃げられなかなか撮れませんでした。

別の場所では畑にいたのですが、車を止めて近づくと竹やぶの中へ逃げられてしまいました。

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