飛行老人の飛行機話

Yahooからの引越しに伴いタイトルを変更

2012年03月

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今回の羽田行きは特別機以外にもJ社の時期限定塗装、というかフィルム貼り付け機の撮影も目的に入っていました。

前日の予定では13時20分到着の予定だったのですが12時頃1タミに行くとスポットに入っていました。予定が変更になっていたようです。しかたが無いので上がりを待ちました。

13時半にやっとプッシュバック、行く先は北の方だったようで16Lからの上がりでした。

この後国際線ターミナルへ移動。

22へ降りて来たJ社のB773の後部胴体下側に何か書いてありますがはっきり判りません。
何かのキャンペーンのようですが、どうせ描くならもっと大きく判りやすいように描いて欲しいものです。これではかなり近寄らないと判りませんね。
空港内の関係者にアピールしているのでしょうか?

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今日は今年初めて羽田へ行って来ました。
予報に反して曇り空、冷たい南風だったので薄着で行った私は難儀しました。

途中の高速道路渋滞でヒヤヒヤしましたが、ツクバTXに乗り換え何とかチリに間に合いました。
9時だと晴れよりも曇り空の方が良かったのですが11時のイタリアは晴れた方が良かったですね。
イタリアはお国柄か大幅遅れで上がって行きました。
タラップを登る時も振り返る人が居なかったので誰がVIPだったかははっきりしませんでした。

今日の付録は滅多に見られないスターフライヤーのダブルショット、並行離陸ではありません。

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当時の宇都宮は海自の教育隊が家主とあってB-65はタッチアンドゴー等もやっていてかなり撮れたように記憶しているが、カラーは貴重品時代だったので1機につき1~2枚しか撮っていなかったのが悔やまれる。
しかもこの時はエクタで撮っていたので色に深みが無いというかのっぺりした感じになってしまったのも悔やまれる。

B-65には垂直尾翼を傾けた機体も居たが多少のスピードアップに貢献したのだろうか?

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1972年4月はじめに初めて宇都宮飛行場へ行きました。

当時は未だ海自の202教育航空隊が家主で陸自の東部方面航空隊が間借りをしていました。

富士重工は国産初のジェット練習機、T-1を生産していたので、それが見たかったのですが、残念ながら外には出ていませんでした。

代わりに出ていたのが今となっては貴重な有翼実験機、FB204J(B204B改/JA9009)でした。

1980年には抹消されたという事なのでこれが最初で最後でした。

この時は新日本ヘリのB204B、FA200等も見る事が出来ました。

FB204Jに関してはホームページ”ヒコーキ雲”に詳細が出ていますので参照してください。

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1971年3月の百里訪問時のカラーが出て来ました。

この時は何故か207飛行隊だけで206飛行隊の画像は出て来ません。

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