飛行老人の飛行機話

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2012年01月

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今日は某BBSの課題の画像を探索していたら、たまたま1978年1月31日撮影のカラースライドのマウントに押されたスタンプの文字が目に入りました。

取りだしてみると伊丹空港で撮影したF-4Jでした。

この日は今日の様に寒い日、仕事中に滑走路にドラッグシュートを曳いたF-4が降りて来ました。

流行る心を抑えつつ、仕事の合間に愛用のカメラを持ちチャリンコで国際貨物前のスポットへ向かいました。居ました、DWレター、岩国へローテーションで派遣されている部隊です。
まさか伊丹でお目にかかれるとは思ってもいられませんでしたね。

いつの間にかテレビ屋さんも来ていました。
後で聞いた話によると私もしっかり画面に出演していたそうです。(笑)

ニュースによると四国沖で訓練中に燃料不足になり、伊丹へエマージェンシーで降りたとの事でした。

午後遅くにはAGPの電源車、ニューマチックスターターでエンジン始動、無事に岩国へ向かいました。

急な事だったので地元マニアでもほとんど撮影出来なかったと思います。

私の友人のI君に電話したら在宅だったので急遽駆けつけ、しっかり離陸を撮ったようです。

私は残念ながら仕事から抜け出せず置いてある所だけでした。

なお伊丹では、海兵隊のCH-53、陸軍のOV-1にもお目にかかりました。

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今朝起きたら室内の気温は1度C、今日も寒い1日でした。

そんな中、百里へ出かけた方もいるようですが、私は引きこもりでした。(笑)

さて今日は1月30日、語呂合わせでC-130の日です。

今年のタイのドンムアン基地の子供の日公開は洪水の影響が心配でしたが無事開催され、昨年は展示だったスペシャルが今年は体験飛行に3回飛びました。
西側滑走路が未だクローズで東側滑走路からのフライトで遠かったのが残念です。

C-130は1954年8月29日に初飛行、今年で58年目、生産機数は2000機を超え、また世界69カ国で採用されています。

日本でもC-46の後継機として国産のC-1が採用されましたが航続距離等の能力不足によりC-130が導入されたのは御存知の通りです、まさに第2のDC-3(C-47)と言えるのではないでしょうか。

アジアにおいてもお隣、韓国や台湾など共産圏を除きほとんどの国で採用されています。

ヨーロッパにおいても、英国でさえ自国での開発をあきらめC-130を採用、最新型のJ型を飛ばしています。

アメリカとは犬猿の仲にあると言われるフランスでさえ、独仏共同開発のC-160トランザールの能力に満足せず、C-130を導入していますね。

アメリカべったりと思っていたドイツが採用しないのとは対照的です。

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今日も昨日に引き続きT-2のスキャン画像から。

国産初のジェット戦闘攻撃機、F-1も退役して久しいが1987年頃は最盛期でした。

この頃は各飛行隊で迷彩塗装の研究が盛んで色々試行錯誤をしていたようで我々マニアを楽しませてくれました。というか強迫観念にとらわれせっせと各基地へ通ったものです。

築城では現在のF-2の洋上迷彩に似たもの(214)や、グレイの制空迷彩(219)が現れました。

1987年11月15日の航空祭当日、219はホットミッション、翼端のサイドワインダーは実弾です。
何故か降りて来てアラートハンガーには戻らず海側のピン刺しエリアでエンジンカット。

地元友人のO君に脚立を借りて沖の防波堤から撮りました。

1988年11月に撮った228はロービジ化を図ったもので部隊マークがインテーク、日の丸は後方に移動してオーバースプレイして有りますが、尾翼の部隊マークはそのまま、頭隠して何とやら状態ですね。

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本来なら今日は微笑みの国シリーズだったのだが急遽予定変更です。

1年ほど前からフィルムスキャナー用のパソコンがフェーズアウトしたためフィルムのデジ化が進んでいなかったのでC社のフィルムもスキャン出来るスキャナーを購入しようか検討していたのだが、今あるスキャナーがあまり使用していなくて未だ元も取れていないのに無用の長物になるのも癪だな~と思って居たところ、織り込みのチラシにXPモデルが2万円以下で出ていました。

フラットベッドスキャナーより安いのでとりあえず店に行って見る事にしました。

近くの店ではXPモデルが無いので別のチェーン店へ。
幸いどちらも高速道路のインター近くだったので、高速で20分程、3月までの震災復興関係で料金はタダ、ラッキーでした。

で、そちらの店でめでたく希望の品をゲット、早速試しスキャンをしてみました。

画像は1985年9月4日、築城基地です。

当時は築城基地で発足したアグレッサー、F-15は未だでT-2で飛んでいました。
発足当時はT-2のグレーの標準塗装でしたが、その後御覧の様なミグ21を模った塗装や新田へ移ってからは獰猛な迷彩に進化しています。

今の築城基地を知っている人は背景を見ておや?と思うでしょうね。

この場所は飛行機マニアなら大好きな高いところ、木の上でした。
今はもう松くい虫にやられて面影は有りません。

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先日の南の島の前編、首都の国際空港です。

目的日は14日でしたが、1日早く12日に移動、安い航空券では夜の到着になりました。
翌日は空港周辺で撮影予定だったので空港近くの、RWYが01だったら離陸、19だったら着陸が一応は撮れるホテルに泊まりました。

ターミナルからはミニバンが送迎してくれます。イミグレを出て何人か揃うまで15分ほど待って10分でホテルへ着きました。

部屋はなるべく高い西側をリクエスト、306号室でした。
到着後はシャワーを浴びてさっさと寝ました。

翌日起きると、残念ながら曇り空、かなり暗いです。

カーゴターミナル前ではT尾翼の機体のアンコロが点いています。

とりあえずカメラの感度を上げて離陸機の撮影を開始。

トップバッターは成田行きのUAのB777(N786UA)でした。

次に先程貨物エリアから転がったK-MILEのB727(HS-SCJ)でした。
時代物だけあって低い上がりです。
私が出会ってから早40年経ちますが、もうほとんど見る事が出来ません、何時まで飛び続けてくれるのでしょうか。

DRUKAIRのA319(A5-RGG)は流石に高い上がりでした。
日本には以前、HS146が来た事が有りましたね。

タイのA330(HSーTEL)はスターアラ塗装、成田ではタイのA330は見かけなくなりました。

タイのA340(HSーTNC)も以前は成田へ来た事も有りますが、今は見かけません。
長距離線に飛んでいるらしく低い上がりでした。

ホテルの窓から貨物ターミナル地区にB767の姿が見えたのでとりあえず証拠写真を、胴体後部のレジが消されています。どうやら飛んでいないようですね。
タイでは次から次へと新しい航空会社が出来ては消えて行きます。
スポッターにとっては油断できませんね。

この頃から青空が見え始めたので7時半の送迎バスでターミナルへ向かいました。

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