飛行老人の飛行機話

Yahooからの引越しに伴いタイトルを変更

2010年02月

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 今回も金曜日の夜に連絡が入り、急遽沖縄へ出かけて来ました。

 日曜日は百里が有ったので5日間も留守にしてしまいました。

 月曜日は現地の予報が良くなかったので羽田で撮影後レンタカーの借用時間に間に合うように移動し、火、水、木と嘉手納に入り浸っていました。

 で今回の目的はアラスカからやってきたアグレッサーのF-16でした。

 噂を聞き付けたマニアが本土から徐々に集まり始めて木曜日には20人くらいいたようです。
中には20年ぶりくらいに再会した関西の長靴の○○○さんも来ていました。

 今回は若手よりもベテランの中高年組が多かったですね。

 地元沖縄の最初有った頃は高校だった○○君も20年ぶりだったような気がします。最初見た時は気がつかず、声をかけられて良く見ると面影が残っていましたが当時は丸々と太っていたのがスリムになり見た目と昔のイメージが違っていたのが気づかなかった原因でしょう。

 お目当てのアグレッサーは火曜日は9時過ぎからだったのですが水曜日からは8時前から飛び始め約2時間のミッションをしていました。

 今日はとりあえず木曜日の離陸からです。タクシーウェイ工事の関係で、Cから離陸したので低かったのですが生憎曇ってしまいました。

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 前にも書きましたが最初のレッフェルト訪問は移動訓練ということでミュンヘンの北の実空の基地、マンヒンまで追っかけて行きました。

 ここは実空の基地という事でエプロン地区の撮影で終わりました。

 訓練飛行を終わって降りてくるパイロットの撮影もできました。

 今は懐かしい当時の標準飛行服、オレンジ色のスーツです。

 また自衛隊では標準装備のGスーツは付けていません。
ドイツ空軍の主ミッシヨンである低空飛行が主任務で空対空のミッション出ないことがうかがわれます。

 ちなみにこの時はどういうミッションだったか聞き忘れました。

 なお南の島から悪魔のお誘いが来ましたので4~5日出掛けて来ます。
しばらく更新が出来ません、悪しからず。

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 この頃は西独海軍でもF-104Gを運用していました。この時には幸運にも外来でレッフェルトに来てくれ撮影する事が出来ました。
 ドイツ語の海軍は日本ではおなじみの”NAVY"ではなく”MARINE”と表示するようです。我々は海兵隊が一般的ですが。

 離陸の次はスレッショールド付近へ移動、着陸を撮影しました。着陸速度もマルヨンは速いですね。

 マルヨンの翼端タンクの無いクリーンな機体も撮れました。
マルヨンはクリーンな状態がシャープさが出ていて好きなスタイルです。

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 今日はその3、離陸編。

 この時は離陸を撮る機会があり、滑走路の中間付近で撮影する事が出来ました。

 今のF-15などに比べると離陸速度はかなり速かったような気がします。

 当時は今と違いピントはマニュアル、ピント合わせは苦労しました。車でいえばマニュアル車とオートマ車の違いでしょうね。

 マニュアル車からオートマ車へは簡単に乗り換えできますが逆は無理でしょうね。

 カメラの世界もオートに慣れてしまうとマニュアルには戻れませんね。止まっている被写体は別ですが。

 今日、マルヨンを検索していたら youtube にはっきり音が入っているサイトを見つけました。

 イタリアのマルヨン解散時の9機編隊飛行の時のものです。

 興味のある方はご覧ください。

 youtubeで The last f104 を検索して下さい。

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 昨日の続き、スペシャルを一挙大公開します。

全面塗装も良いですがワンポイントの尾翼だけとか、翼端タンクだけでも結構見栄えがします。

マルヨンはどの角度から見てもそのシャープさが出ています。

この日は内陸部の真夏で気温は35度くらいあったようです。

上半身裸でパンツ1枚のおじさんが写ってますが確か給油員だったと思います。

軍人がこんな恰好で仕事をするはずはないと思われるので民間委託だったと思われます。

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