飛行老人の飛行機話

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 1982年10月に新田原へ行った翌日は築城に転戦。移動手段は覚えていないが、当時は日豊線も夜行列車が走っていたので宮崎駅を夜遅く出るので駅前の銭湯に入ってから乗車したのではなかろうか。
 翌日早朝に築城駅に着くので海岸沿いの撮影ポイントまで歩いて行っても余裕があったはずだ。
当時の築城はF-1とF-4の2個飛行隊が有ってこの頃に築城でT-2による毒蛇部隊が創設された。築城が選ばれたのは既に同系統のF-1が存在していたので整備や補給の利便性が考慮されたようだ。しかし訓練空域の関係かほどなくして新田原へ移動している。
 今日はF-1特集。築城の海側は背景に電線などが無くスッキリしていて良い感じだったが、このところしばらく行っていないので環境が変わっているだろう。

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 F-1はパワーが無いせいか離陸は低かった。

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 築城の定番ポイントは堤防の上だが、私はこちらの方がお好み、背景がスポッと抜けた感じが良い。この頃は有刺鉄線だったが、網目状フェンスになってからは撮れなくなったようだ。

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 スクランブルから戻ったF-1,AIM-9の実弾を装備安全面の配慮からかランウエイバックでアラートハンガーへ。

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 昨日の続き、あの頃は良かった。(老人の独り言)
この頃の列線は今と違って滑走路に機首を向けて横一線に並べる方式だった。横並びを撮りたかった。

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西側の西都市方面からアプローチするマルヨン。

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 最近スキャンした画像で1982年10月に新田原で撮影したマルヨン、この頃は202飛行隊がF-15に機種改変中だったが、未だマルヨンの黄金期だった。
 新田原は海が近いので冬型が強くない限り、朝のうちは西上りでも午前中に東上りにランウエイチェンジしてしまう。マルヨンはT字尾翼なので午前東向き、午後に西向きで飛んでくれるのが理想的なのだが、なかなk思ったように風は吹いてくれない。幸いにもこの時は午前の早い時間から東風だった。
 毎年マニアを喜ばせる戦技競技会塗装も飛んでくれた。

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 背景に写っている白い尾翼は外来で飛来したUSNのUS-3A。

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