飛行老人の飛行機話

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 1984年4月22日は徳島基地の公開が有った。徳島は大阪からは今では橋で繋がって近くなったが当時は中途半端で行きにくかった。和歌山まで行ってフェリーで渡るか、明石からフェリーで淡路島へ渡り更に鳴門海峡も渡らなければならなかった。
 私は都合3回行ったと記憶しているが1回目は飛行機で伊丹から徳島へ20分ほどで行ったように記憶している。ターミナルから歩いて20分程でゲートに着いた。
 2回目の1984年には車で2つの海峡を渡っている。
国土地理院から委託運航されているUCー90、

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 この頃はBー65が未だ運用中だった。

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 新鋭TC-90のラインナップ。

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 祝賀編隊飛行にm向けてエンジンスタート。人出が少ないローカルな基地ではこういう絵が撮れたのが嬉しかった。

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 1973年3月24日、松山から夜行列車で徳島へ、翌日乗り換えて小松島駅から歩いて小松島基地へ。
関西在住時は近くに自衛隊基地と言えば陸自の八尾基地ぐらいしか無かったので、初めて四国へ渡った。
 その後海自徳島基地へは何度か行ったが小松島へはこの時だけだった。多分これからも行く事は無いだろう。
 HSS-2も当初はこの塗装をしていたようだがその後白をベースにした塗装に変更された。低空を飛ぶヘリは上空からの低視認性を考えるとこちらの方が理にかなっていると思うが。

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 南極観測船ふじに搭載されているSー61はベースにしている館山から展示に飛来した。

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 当時の大阪便はYS-11だったと思うが羽田便はBー737だった。
背景に見えるのは帝人松山工場。
 
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 到着便。

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 ターミナルビルへ戻って夕日をバックに、後1~2秒後にシャッターを押したら背景の建物が隠れたのにね。

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 夕方まで空港で撮影後市内へ移動、夜行列車で小松島へ向かうまで時間が有ったので松山城観光。

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