飛行老人の飛行機話

Yahooからの引越しに伴いタイトルを変更

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お待たせしました。WELZOWの続きです。

私のミグ25遭遇は2回目でした。

最初は函館事件の後百里でのエンジンランの時でした。
この時は当初はタキシングをするとかの話も出たのですが、車軸が曲がったとかでキャンセル、
サイレンサー前の広場でエンジンを廻しましたが、周囲に囲いを作ってまともな画像は撮影できませんでした。

それにしても当時のネガが行方不明です。

さてドイツでは統一後も駐留していたソ連軍は帰る基地が確保できなくてしばらくドイツにとどまっていてヨーロッパ飛行機マニアの餌食になっていました。

しかしドイツとの協定で各基地週に1日しか飛べなかったらしくなかなか当たりませんでした。
現地でマニアから色々情報を仕入れあちこち基地巡りをしたものです。

西側と違ってシェルターには入っているものの飛ぶ時はエプロンまでトーイングして並べるのでその日に飛ぶかは一目瞭然、並んでいない時は次の基地へ、ネットサーフィンならぬベースサーフィンをしたものです。

ミグ25は西側の機体に比べると野暮ったい感じでしたが、日頃見られない機体に興奮したものです。

ミグ25の複座型も見ましたがこちらもとって付けたような前席は取れそうな感じで怖いです。

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1990年10月にベルリンの壁が崩壊してDDR、東ドイツは消え去りました。

翌1991年の秋に初めて旧東ドイツの土を踏みました。
最初はハンブルクから出張していた友人と車で行ったのですが国境検問所後を境に道路状態が一変したのを記憶しています。

西側では滑らかだった路面が東側では予算が廻らないのかでこぼこが多かったです。

また2サイクルエンジンの大衆車、トラバントが不完全燃焼ガスをモクモクまきちらしながら走っていました。

一番困ったのは英語がほとんど通じない事、宿を探すのも一苦労でした。
何とか見つけた宿の女将が英語を話したのでヤレヤレ、その後何回か止まりました。

さて画像はベルリンから南東へ車で1時間程走ったWELZOW飛行場。

夕方アフターバーナーを全開して離陸して行く飛行機は何でしょうか?
次回のお楽しみ。

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昼過ぎの基地内での撮影をした後今度は滑走路の西側で離陸と着陸を撮りました。

当時の管制塔は赤白が多かったようですが今では見かけなくなってしまいました。

外から見て目立つからでしょうが、その割には格納庫がかなり大きく、有事対策にしては片手落ちではないでしょうか。

空自の管制塔の建て替えでも豪華な管制塔が続々出て来ます。

以前行ったスウエーデンの基地では車庫をちょっと大きくしたような倉庫の様な建物を覗いたら
中にビゲンが入っていてビックリした事が有りました。

有事対策を考えるなら建物の小型化、分散配置を考えて欲しいものです。

前から言われている事ですが大型格納庫に爆弾1発もしくはテロリストが侵入して放火されたらどうなるでしょうかね。

想定外は東日本大震災だけにして欲しいものです。

赤白管制塔からぼやきに発展してしまいました。(笑)

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